
今から7年以上前
自死遺族が顔も事情も個人情報も公開して自死遺族の集う会の開催をしたのは、「藍の会」が初めてといわれました。
自死遺族の集いも
非公開の会や支援者による会はそれ以前にもあった・・・
というふうに・・・NHKなどのマスコミには言われた
ひとつの団体の一員として自死遺族が活動している会はあった
だから・・・当時はマスコミに怒涛のように取り上げられた
NHkの朝番組全国放送の50分番組にもなった
当時は、支援をする人たちが、講習会などで勉強をして、その講師を招き、会の運営や遺族への対応をする
そう支援者たちは信じて疑わなかった
なぜなら・・・自死遺族が、自死遺族と公開して自分で活動する会をたちあげた遺族がいなかったから
団体の一員として活動していた遺族はいたが・・・
非公開の会は運営していたが・・・
自死遺族が会の運営・・代表・・・しかも・・・公開してなど
国や県、市町村やボランティア団体の自死遺族支援を考えていた人たちからは
想定外のことだったらしい
自死遺族は支援される側にいるべき存在・・という考えが主流だった
それが・・突然に 自死遺族が顔も名前も連絡先も全て公開し活動をしたことに
戸惑い・・・ありえない存在の自死遺族・・・として・・・わたしを感じたのかも知れない
誤解のないようにこれだけは書こうと思う
「藍の会」を立ち上げたのは 率先してではありません
お願いをしてお願いをして・・・それでも・・・誰も応えてくれず・・・仕方なく・・・です
「このままでは 生きていられないかもしれない、助けてください、自死遺族が集まって話ができる会を立ち上げてくれませんか・・・」と、県にも市にもボランティア団体にもお願いを続け、自死を考えるシンポジュウムにも必死に参加して、会場から「助けてください、自死遺族の会を立ち上げてくれませんか」とお願いを続けました。知事にも市長にも手紙も書きました。
県や市の支援担当と思われる窓口にも何度もお願いの電話をしました。
ボランティア団体が「会」の立上げをするらしいと聞いて、「いつ頃になりますか?」と電話をしても「そんな予定はありません」という返事
グリーフケア研究会が自死遺族の会を立ち上げるらしいという話を聞き、連絡先を必死に探して「いつ頃になりますか?」と聞いても、「そんな予定はありません」という返事でした
十数回目くらいの電話の応対をしてくれた行政の窓口の男性が、
「政治家の力もお借りになってみては・・・」と周りを憚るように小さな声で言ったその言葉に
「あ!そうか」と・・・ひらめき
必死で電話帳を探して(当時のわたしはパソコンは使えませんでした)
連絡~そして~つないでくれ~市会議員につながり
話すこと3時間
その結果「あなたがおやりなさい・・・私が全面的に支えるから・・・田中さんがてをあげたらつながってくる遺族がいると思うよ・・・そしたら分かち合って生きていけるよ・・・」といわれ
痩せほそり、生きているのがやっとのわたしが生きて行くために、誰も立ち上げてくれないから、
必死で立ち上げた会が「藍の会」です
警察官の息子は仕事に誇りを持っていた・・・その息子への思いを込めて。警察官の制服の色「藍色」の「藍」の会です
そして活動をするはずのない自死遺族が中心となって活動をしたことで
遺族支援の内容を決めて指針を作ってきた人たちも・・・想定外の自死遺族の出現に
できるはずがない・・・と
決め付け・・・
自分たちの考えていた遺族ではないわたしにいろんなことを言ったのでしょう
その当時「予定はありません」と応えていた団体も、県も、「遺族の会」の立ち上げ準備はしていたのです
「 秋には立ち上げることが決まっていた」と、後からいわれました
その当時「秋には立ち上げる予定です」と言われていたら
「藍の会」も「全国自死遺族連絡会」も
現在、 全国にある自死遺族の会の多くも存在していません
素敵な支援者だけに囲まれて生きている人は幸せです
それはそれで素晴らしいことです
遺族も様々・・支援者も様々 人間です
たくさんの批判や差別的な扱いも受けましたが
それ以上に、心のある人たちとの出会いもたくさん頂いています
・56歳までの出会いの人数よりも・・・息子が亡くなったからかの8年間のほうが人との出会いは多くあります
人を蔑む人は・・・かわいそう
こころの貧しい人
世の中いい人だけだったら・・・誰も自死しません
世の中善意の人だけだったら・・・殺人も、泥棒も、詐欺も。犯罪は起きません
人は裏表があります
わたしもそんな人間でした
欲望だらけの人間でした
息子が亡くなり・・・息子に見られていると思うようになり
極力 うらおもての無い生き方をしようと活動しています