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たましいがあるのは震災で死んだ人だけ・・・NHKの考え方???

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 NHKが 遺族の個人的な感性・・・・・亡き人を感じる

遺族が・・・感じる現象を  報道する

  震災に特化して


 なぜ

 自死も    遺族が感じる現象を報道したらいい


   病気や事故で亡くした遺族の感じる現象も報道したらいい


  なぜ・・・震災だけ


 つなみで亡くなった人だけが。。。。超現象で・・・・

  たましいが現象をおこすのだろうか


   病気や事故や自死はないのだろうか


   ふしぎ・・・


震災で死んだ人だけが特別な存在???


      いろんな理不尽な死があることを


     NHKは あえて無視なのだろうか


   顔をp出しての取材は無理・・といったら

   すぐに


 「あ!石巻に行く予定があるので・・失礼・・と」そそくさと
  立ち去った・・・NHK

   幽霊やおばけを感じる遺族・・・

   スペシャル番組です



 わたしも匂いや気配はいつも感じる


 それは 息子だけではなく
  母や・・父・・・


  ばぁちゃんや・・・むすこ



 それを・・・震災の遺族だけだとおもう感性が  不愉快・・・
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自助グループ本人の会   広げてきた意味とは

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どうしてわたしが自助グループ本人の会にこだわってきたのか


  自助グループの公開されている会は無く・・・

  そこしかないわたしは・・・・ボランティアの会に参加した


  泣きながらも違和感を覚えた


  それでも・・・ボランティアや保健師たちに救いを求めた


    自分では集まりを開催できないと思ったから



  助けて!助けて!!!と 叫んでも誰も助けなかった




     だから・・・自分で会をたちあげた
 
行政の保健師がスタッフの会に参加するのもいいと、思う


   訓練された(なにの訓練かはしらないが)

    支援者が行政から金をもらって・・・遺族の話を聞いている・・・のも事実

    支援者にとっては・・・・・わたしたち遺族が自主的に活動するのは・・・事業の邪魔



 遺族は何にもできない人たちでなければ・・・・・支援者は困る


   遺族が自分たちで会なんか開催されたら・・・活動の場が無くなる・・・

支援者にとっては


  遺族はいつまでも・・・悲しみでいっぱいで
    何にも出来ない存在でいてほしい


 元気になって・・・バリバリ  活動しては困る存在



 それって・・・真ともですか・・・・・・・・・


    歪んでませんか

「わかちあい」「わかちあう」分かち合える存在とは・・・わかちあいは相互扶助・・・上下関係にわかち合いは存在しない 。。「わかち与える」関係はわかちあいではない

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なぜ  自死遺族本人の会 を  広げてきたのか

 
そして・・・藍の会 と 藍色のこころサロン  と  遺族の茶話会 

ランチ会 ミニ遠足会 フォーラム 勉強会 個別相談 等々  
   様々なコミニュケーションを図っているのはなぜか

  
 これらの事は、行政にはできない ボランティアもできない


  行政や、ボランティアが精神的、心理的な支援を行うことを否定はしないが

     限界があることを認めることが大切ではないだろうか

 「わかちあい」は本人たちのみの間にしか存在しない

  それは遺族だけではなく

 例えば 音楽の楽しさをわかちあう・・・としたら

  その音楽が好きなもの同士の間のみでしかわかちあえない・・とおもう

 共通する価値観がそこに存在することが「わかちあい」「わかちあう」ことの基本

  それが 美味しいものだったり 美しいと思うことだったり


 また・・・同じ病気だったり・・・おなじ悲しみや苦しみだったり

    支援者という他者と本人の同じ・・・はない

    
   そして、遺族が「支援者」という意識を持ったとき、他者の支援者よりも 始末が悪い

なぜなら・・・遺族だから・・・同じだといわれたら反論ができないから

  「二つの帽子」論がある

  支援者という帽子と当事者本人という帽子は 一度に同時にはかぶれない

  会に参加するときに

   どちらの帽子をかぶるか・・・

支援者という帽子をかぶった遺族は、遺族という立場ではなく、支援者という立場での参加になる

  特別に訓練を受けた人がファシリティーターを・・というが

   わたしは、こころにあると思う

    藍の会の考え方は  スタッフなし お手伝いという考え方

          多いときは4つのグループに分かれる

       部屋は3つ 借りている

      12時から会場は開いているので、個人的に話をしたい遺族は14時の「わかちあい」ではなく

        早めにきて話し合うこともある

   その後の「わかちあい」に参加するのも、そのまま帰るのも自由


 主催者がわの都合ではなく、参加する側のこころに出来るだけ沿いたい・・・と思っている

     
      そして ひとりだけ話して止まらない場合やわかちあいにならないような人がいたら

           わたしを呼びに来ることになっている

     そして、呼びに来た遺族と交代

  
毎月 20回くらいの会の主催をしていると・・・いろんなことがあるが

       みなさん元気になって卒業していきます

    たまに同窓会のように・・・参加する遺族もいます


    6年ぶりに参加して、継続している人もいます

  自助グループ遺族本人の会  相互扶助の考え

     総合支援の考えかた

 「もう一つの家族」という考え方

      もちろん遺族の活動にも限界がある

  だからこそ  連携したらいいのですが

      遺族支援イコール「話し合いの会」の開催 だけ 


   行政が有名団体と契約して(講師派遣は有料)
 
  会を開催している・・・それが・・・そこの団体の目的

     やる気のない行政と、お金をいただけたら講師派遣します、という団体の 
    思惑が一致

   遺族を本当にこころから・・・考えての会ではないので

       いい加減・・適当 ・・・・ 遺族は見世物


    支援の報告の材料   (行政は書類で報告義務があります)

  「こんなに わたしたちは 遺族支援をしています」「こんな人、あんな人が参加しています」

    と報告されています  書類で。


 だから、遺族にはプライドを持って欲しい・・・と 思っています

   
    支援者にもいい人はいます

       見極めが大切です

自死遺族は 精神病だと思っているから  精神保健福祉センターなどの保健師が、行政が 会の主催です

有名団体の人たちは・・・訓練された支援者。(保健師を指導する立場)
 その団体の遺族は自分たちは特別・・他の遺族は精神病


    それでも・・・いい・・という遺族もいるでしょう


      わたしの悲しみは病気ではない

        わたしの悲しみは今も息子を愛しているから


      

       

遺された人の苦痛を和らげる前に、遺族を苦しめている対応を見直してください



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一般的に、自死による心理的影響を最も強く受けるのは故人の家族である。

自死遺族は後悔や自責の念、孤独感にさいなまれ、うつ状態などの精神症状を呈することや

相談の機会もないまま社会生活に支障をきたすことがある。

このため、遺族が受ける当初の心理的打撃を少しでも軽減し、

将来の精神的影響を和らげるための支援が行われる必要がある。


というのが、行政職の考える自死遺族支援である


  自死遺族が受ける差別問題などは全く想定されていない

   心理的、精神的な打撃  それが差別による問題かもしれない・・ということは

      あたまの片隅にもない


 亡くなった・・・悲しみだけの精神的、心理的問題だと思っている


いのちが喪われ、二度と会えない・・・悲しみ


   それと共に 自死ということをいえない苦しみ

   他の死では受けないような、損害賠償金の請求や、保険金の不払い 親戚からの白い目

        警察からの殺人犯の取調べのような事情聴取

    宗教者からの暴言 検案料の問題 
             
 精神的・心理的な打撃を和らげる支援の前に

 悲しみ以外の心理的・精神的打撃を与えないようにしてください・・・
 
現実に与えている問題の是正をしてください


   ということをお願いしてきました
   

傷付けておいてから「ケア」するのではなく、はじめから傷付けない仕組みを・・・と


 どうして・・・ここから一歩も進まないのだろうか


  7年間訴え続けて・・・いまだに・・・遺族の心のケアが行政の考える支援

  
   それは・・・担当者がいつもいつも異動するから

   申し送りをしていない・・・・


    担当者が代わるたびに・・・最初から活動の説明と、自己紹介を延々としなければならないのは

     さすがに苦痛になってきた

   同じことをずっと7年間、市や県、国に言い続けている

     同じことを・・・


       聞いているふりだけ


         


 



カルテの開示請求を拒む病院

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ビックリ  今もこんな病院があるなんて・・・

 でも  精神病院はこんなものかな


 入院している我が子のカルテの開示をしたら
 「見せられません」とひとこと。

 宮城県では有名な病院  みやぎこころのケアセンターのセンター長が理事長?顧問?の
「東北会病院」

   しぶる病院はあっても。カルテの開示を拒む病院は・・・時代錯誤

 

自死を自死と話せるような社会に・・・まず勇気を持って、遺族が・・・願っています

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 明日は 息子のお墓のあるお寺さんでお盆のお手伝いの打ち合わせ

    お寺さんの行事のときにお手伝いをする会がある・・・
    頼まれたわけではないが、住職にお願いをして(何度も)メンバーにしてもらった
       夫も次男も仕事がなければ手伝いを申し出る


 息子が御世話になっているお寺さんに何か恩返しをしたいと・・・

   お寺さんの行事には出来る限り参加することにしている

 当時は56歳のわたし・・・お寺さんのお手伝いの人たちはみんな先輩  
   
最初は誰もが息子と思わずに「ご主人?」と聞かれた(亡くなった人が)

「息子です」
    「あら、そうなの・・病気?」
「自死です。」
   「そうなの・・・」でオシマイ

それからは、テレビや新聞などで見ていてくれて
  応援してくれています

  普通に本当に普通に接してくれ、いい人たちばかりです

   やさしい人たちです


  わたしは、自死を隠したくない
 息子は悪いことをしていない

  悪いのは社会・・わたしも含めて

   
 世間の目を恐れず、世間の目を気にせず
    聞かれたら、普通に「自死なの」と話せるようになって欲しい

   病気だったの・・・事故だったの・・というように

     自死だったのよ・・と


 そうなったとき・・・自死への偏見と差別がなくなり・・・自死が無くなる・・・と信じている

 

こころのケアは精神科につなぐための支援 精神薬で幸せは来ない

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 こころのケア  こころのケア

   どのようなこころをどのようにケアしてくれるのだろうか

こころのケア
 
   不眠  その原因を聞き・・・取り除く事はしてくれるのだろうか

     多分  不眠~~精神医療・・・睡眠薬処方

  無気力  その原因を聞き・・・解決してくれるのだろうか

    多分  無気力~~精神医療・・・・抗うつ薬処方


不安・恐怖・・・・多分~~~抗不安薬・・向精神薬・・処方だろう


   
 なぜなら・・・こころのケア


     予防医学 精神神経学の先生が講師で会場は精神病院の会議室

 おそらく・・・製薬会社がバックに・・・


    こころのケア===精神科  


    そして===くすり


    ・・原因を無視して・・・何でもかんでも・落ち込んでいることだけを問題視して

     精神薬を処方して支援という考えは  狂ってます


    原因がある落ち込みならば、その解決が先です

         精神薬で人は幸せにはなりません


       精神薬で人は元気になりません


 ハッピードラッグはありません



 本当の意味のこころのケアをしてください

 全国の こころのケアセンターのみなさん


     あなたも家が流され・・家族が亡くなっても精神薬でいいんですか???ケアの全てが!!

自死遺族も回復支援が必要と言われたように、今度は被災者も回復が必要な人たち・・・

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みやぎこころのケアセンター
支援者支援 1952件

電話相談 1945件  1人あたり 年に平均 48


 1年間3億円の事業  常勤職員 40名  給金あり

  面接相談  4492件  


 多いのだろうか   わたしの電話相談 年間 900件以上  わたし一人  無償

       この間も 夫婦喧嘩の相談  申し訳ないけど他の電話相談にまわした


給料をもらって支援をしているとしたら・・・支援者のプロ


   其の給金分は働くのが民間では普通

    
    幸せな人たちをもっと幸せにする支援は多くあるが・・・本当に困っている人への支援は少ない

    手間隙のかかる人たちへの支援は 時間と神経を使い面倒なことが多いから・・・見ないふり


   わたしは支援というものをしていないから、大層なことはいえないのだが

       みんなこころが痛まないのだろうか

 無力な自分にいつも自戒ばかりだが   

      少しでも・・・元気で生きてほしいという思いはある


   なにも出来ない自分だが・・・場所の提供だけでも・・・とおもう

  だから・・・会の主催や会の立ち上げ支援をしてきた

        茶話会 2回  サロン 3回

    分かち合いの会 宮城県内6箇所

  山形・福島・郡山

 子どもを亡くした親の会  県内3箇所  震災の遺族の会1箇所

  法話の会 4箇所

  独立した会もある

全国自死遺族連絡会もある・・・研究会もある

 精神科医療・もある

    1ヶ月のうち3分の2は家にいない  

が・・・力の無さを感じる


    もっと知ってもらいたいとおもう


 広報に力を入れていない自分がいる  反省です

    最近自死した人たちから連絡をもらうと・・・

         自分たちは何をやっているのか!!!と苛立つ

     生きて欲しい

 生きて・・生きて!いきていてほしいという声が届いていないことに 自分に苛立つ

     力のない自分・・・声が小さい自分
   
    必死さの足りない自分  に  腹がたつ


   支援しているという人たちにも腹がたつ

      こんなことしています・・・なんて自慢している場合では無いんです

  支援者の支援をしなければ支援が続きませんなどと言っている場合ではないのです

        そんなに支援が必要なほどに・・・支援をしていますか?

    わたしは年間相談延べ件数1000件は超えるけど・・ わたしへの支援は求めていません

       疲れてはいません  元気です

   元気なのに・・・もっと親身になって相談にのろうとしていない自分がいて・・・

     反省しています

 地べたをはって泥を書き出すような活動はしないで・・・


    ハローワークのような つなぐだけの支援

       支援をする人を育てる支援


    支援者が疲れた時ののセルフケアの研修の支援


  ある被災地のNPOの活動

防災集団移転事業への専門家派遣
行政・社協・支援団体が参加して毎週行われるNPO/NGO連絡会の運営支援
災害ボランティア講座開催準備会
まちあるきによる地元資源の再発見

  
 SPR 
アメリカ国立PTSDセンターと国立子どもトラウマティックストレス・ネットワークが開発した
災害復興期における被災者の回復を支えるための心理支援法

被災者は病気なのだろうか
 
回復を支えるための心理支援法・・被災者を病気とみなしているのだろう


 具体的な支援

 仕事・家・ローン・・・・があれば解決できるものがたくさんあるはず

   仕事もない・家もない・ローンがある・家族はバラバラ・放射能はある

   がれきはまだまだある・・・

    何にもない町


 具体的支援がなんにもなく・・・被災者をどのような心理支援ができるというのだろうか


    兵庫県こころのケアセンターから講師がきた


  ふ~~~~~~ん  被災者って  回復しなければならない人たちなんだ


 

             





   

終末医療に本来のグリーフケアを・・・・

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28日は「藍の会」のわかちあい

  エルソーラ仙台

 84回目


  少人数でした~~~そんなときはなぜか子どもを亡くした親だけ・・・ふしぎ

     遺族もさまざま

 いろんな考え方の遺族がいる

     いろんな事情の遺族がいる

       悲しみも様々

   向き合い方も様々

         
  そんな遺族のなかで・・・家族がガンや難病で・・・自死に至るケースもある

        最近も・・・そんな遺族がいた


    終末医療・・・ホスピス・・・緩和ケア

    ここに・・・本来のグリーフケアが活かされるべきではないのだろうか

   自分の死期が近い・・自分が人間として尊厳が失われる・・・

           そんな自分の意識がハッキリしての死や
            人間らしさが失われる病気と共に訪れる死

それらの苦しみと恐怖に近い恐れ そして悲しみ 

     自分の死をどのように迎えられるのか・・・

      苦しみや悲しみ恐怖をどのように克服するのか

     それとも・・・苦しみ悲しみ恐怖と共に・・わめき叫び死を迎えるのか


      自分の死への悲嘆の回復


       大切なことのようにおもう


   自分の死への悲嘆回復はあるのかもしれない

   淡々と死を迎えられる事は可能かもしれない

   医療従事者や宗教者は・・・ケアのお手伝いが出来ると思う

    遺族の悲しみよりは医療従事者には医療にかかって死を迎える人たちのグリーフに力を注いで欲しい

   それは医療従事者の人たちにしか出来ないから


   それが自死の防止のひとつにもなること


    なぜ・・・本来のグリーフケアではなく・・・・
        遺族の心のケアに医療関係者が関心を高めたのだろうか


   患者の心のケアのほうが難しい???

    死んでいく人の心のケアは満足感がない???

       後悔が残るから???


      医療関係者にしか出来ないケアをなぜしないのでしょうね

  傾聴のボランティアも・・・遺族ではなく

   ひとり暮らしの人・・・入院している家族のいない人

     誰とも親しく話す機会のない人たち・・・

  そんな人たちにとっては救いだと思う

    それぞれに自分たちだから出来ることを活動としたら・・・いいのになぁ~~~とおもう


   総合支援ができると思う   偏りのないケアが出来ると思う

            みんなが同じような人たちの支援をしようとするのはなぜだろう

           自分たちの特徴を活かしたら・・・

               効率よく深く広い活動になるはず


    終末医療にグリーフケアを取り入れてほしい


    終末医療は・・・当事者の自助活動はできないから・・・

      わかちあいはできないから

     

能面のような表情とロボットのような日常生活を送れるのが、精神科医の考える「正常な人間」???

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 新たな自死遺族からの連絡は、年間300人は・・・

    それを多いと受け止めるか少ないと受け止めるかは別として

      くやしい

 そして 思う

 生きにくい・・・

 なんでもかんでも病気   早期に発見~治療したら治る可能性が高いのが病気

 確かにそうだろう

   しかし・・・こころ を そんなに簡単に病気と診断できるのだ不思議である


 わたしは ひとりっこ
   
     ひとりでいるのが苦痛ではなかった

 同じような子どもといるのが 苦痛になり・・・時々 ひとりで 遠くにいったり

     本を読んだり・・・掃除をしたり・・・手仕事をしていた

   大人との接触も苦手  朝も苦手(今も無理)

大人の命令に反発して、わめいたりしていた

    最近は子供同士のコミニュケーションが上手く取れないと発達障害といわれるらしい

  平均的な子どもって誰が決めたのだろう

    みんなと仲良く出来なければ。。。障害なのだろうか

 親の思うような成長をしていないと障害なのだろうか

  発達はそれぞれ大きく違う


   幼いときに障害児として周りが扱うほうが障害のような気がする

 
   小学生の低学年は特に発達の差が大きい

     器用な子ども  人見知りの激しい子ども

  朝が苦手な子ども 自己主張が出来ない子ども  反対に主張が強い子ども

   1時間静かに出来ない子ども  いろんな子どもがいていいのになぁ~~~っておもう


  最近  製薬会社や  一部の精神科医や教授たちによって

   人間らしさや個性までもが精神病になってしまった


   人間の最も人間らしい感情の悲しみまでもが、精神病である




  ロボットのような人間を 人間というのだろうか

 器用に何でも出来て、仲良くして、お付き合いも出来て、怒ることなく悲しむことなく

    落ち込むこともなくいつも同じ時間に起きて、寝て、酒もタバコも呑まず

  いつもやる気があって、希望をもって・・・

         そんな人間ばかりになったら・・・どうなのだろうか


   能面のような精神科医  能面のようなカウンセラー

      能面のような受付


  訓練しているらしい

    やさしい微笑の訓練のほうが 精神にはいい

      懇親会で笑った臨床心理士の一言
「あ!いけない笑ってしまった」

 彼女は周りがどんなに盛り上がり笑っても笑わないひとだった

 お久しぶりの挨拶も能面のよう

   時々 挨拶も返されない

   大きな病院の精神科のカウンセラー

  笑ったり。。。ないたり・・怒ったり・・・しない人間が 正常な人間なのだろうか

  世界の人間のほとんどは 彼らの基準からいうと  精神を病んでいる人間だ


   得意なものが一人ひとり違っていい

    考えも違っていい


    人にやさしい気持ちになれること それがあったらいい 

     

知らされない愛について  岡知史

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わたしがいつも持って歩いているエッセイ集

岡知史教授のもの

「知らされない愛について」

こころがささくれたとき・・・イライラしたとき・・いつも読む
その中でわたしのこころにやさしいエッセイのひとつ

「知らされない愛について」

愛というものは知らされないものだと思う。もちろん知らされる愛もある。
ぼくたちが知っているのは知らされた愛ばかりだ。
プレゼントをもらったり、愛の言葉をならべた手紙を受取って、愛を知るときがある。
 しかし、知らされた愛がすべて真実のものであるとは限らない。

知らされる愛がある一方で、知らされない愛がある。
知らされない愛は永遠に気づかれないままなのではないか・
  そして、それは知らされる愛に比べて
    ずっと深く広く、ぼくたちを背後から見守ってくれているのだという気がする。

知らされない愛はきっと純粋なのだ。
 報いを求めていないからこそ、
愛されるものには決して知らされることはないのだろう。

それは自身を隠しているのではなく、むしろ知らせるということには
 何の関心もないのだろう。
そして、もしも、それが思いがけなく、ぼくたちの目の前にあらわれたとき、
     ぼくたちは、岩かげに眠っている天使の横顔を見つけたような驚きを感じるに違いない。

例えば
アルツハイマー病によって、まだ50代の若さで、
  妻の顔もわからなくなってしまったひとりの人と出会ったことがある。

彼は非常な貧困のなかで若くして結婚し、病弱な妻と幼い息子のために、
 きわめて劣悪な労働環境の町工場で働きつづけた。
やがて、20数年間、鉄粉のとびかうなかで働きつづけたために肺を病み、倒れ
 在宅生活を強いられることになる。
心臓病が持病の妻は、その間も入退院をくりかえしていた。

病苦と貧困と家族への思いに苦しんだ彼に安らぎが与えられたのだろうか。

在宅生活を数ヶ月続けると、
 彼は妻の顔もわからなくなった。
  妻は医師の制止を振り切って退院し、
   文字どおり自分のいのちを危険にさらして、夫の介護をすることにした。

その女性が、涙を浮かべながら微笑んで、ぼくに語った事は

痴呆のために何もかもわからなくなってしまった夫が、それでも毎朝、
 おびただしい鉄粉を中に浮かべていたあの町工場に行こうとすることである。
彼女が止めようとすると
 彼は「姉さん(彼は自分の妻は入院していると信じており、目の前の妻を姉と思い込んでいる)、
わしが(工場に)行かないと、家族が食っていけなくなるんだ」と
  必死になって訴えるのである

 そのとき妻は初めて無口な夫の深い思いを聞くことができたという。
いままでも仲の良い夫婦だった。
しかし、その口から直接に何か語られるということはなかったのだろう。


 下着姿のままボロボロになった古カバンを腕にかかえ、
  彼は毎朝、 もはや閉鎖され壊された工場の跡地に向かおうとする。

 妻は、心臓病の発作を恐れながらも、 
  鉄粉に汚された肺で懸命に息をしながら走るようにして歩く夫の後を追うのである

 彼はこのような病身の妻の命がけの介護を、
   決して知ることなくその生涯を終えるだろう

愛は知らされないものである
  知らされない愛が
   僕たちにどれだけ与えられているか、
それは僕たちには決してわからない

  しかし知らされない愛のひとつが

 もしも 知らされるのだとしたら
    それは 偶然のできごとか、あるいは悲しいことだが
  愛する者の崩れた姿のなかに現われるのである


 自分の戒めのひとつです

思い通りにならない事を、思い通りにしようと思うことが人間の苦しみ、悩みである・・・ありのままに受け入れること(難しい)

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16日の増上寺さんの法話の会も無事に終え

和やかなひととき・・・をすごしました


  17日は補助金申請の書類作成

 18日の今日は「藍色のこころサロン」

 19日は広島~~~途中で東京下車~~~~打ち合わせ

     最近よろず相談が多い

  夫婦のこと・・・

 相手に多くを求めないこと・・・分かり合えない・・と思うこと



  親が精神薬を減らしたくても本人が減らしたくないならどうにもできない

 買い物依存症も・・・親が借金を払ってあげていたら・・・治らない


思う様にならない事を、思い通りにしたい・・・とおもうから悩みや苦しみになる

どうすることも出来ないことを、なぜ人間は悩むのだろうか


  わたしの苦しみと悲しみは息子の死

 これはどうにも出来ない

  仕方がない・・とは考えられない  だから苦しく悲しい


 その他の事は、受け入れようと思っている

  焦らず・・・なるようになる!と

   家族が健康で生きていてくれたら・・・他は望まない

 息子を喪ったことを考えたら・・・健康で生きていてくれることだけでいい
            家族はもう喪いたくない
 
 生きている事は奇跡・・・そうおもう

   人間は強欲・・・それに気がつかない

     人間は傲慢・・それに気がつかない


 深い悲しみを抱えた人たちだけでも・・・気がついたら

    世の中は人にやさしくなるだろう 

 人間は自分勝手・・・自分がかわいい

      少しだけでも・・・仏壇の前で・・・亡き人と語り、お釈迦様を見つめてみたら

    人にやさしくなれる・・・かな

   

野田正彰先生の講演 7月20日

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講演会のご案内です。

、野田正彰先生の講演会が開催されます。
野田正彰:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%AD%A3%E5%BD%B0
総合人間学会。関東談話会
タイトル: 「鬱ではいけないのか?」http://synthetic-anthropology.org/
場所:明治大学紫紺館 3階S3(明治大学リバティタワーの斜向かい)
  

 鳥取のコスモスの会の講演も素晴らしいものだった・・・と、参加した人から聞きました

 岩国の「木洩れ陽」の代表の講演も涙溢れる内容だった・・と・・・

  精神科医療を信じて・・・死なせてしまった・・・
     自死遺族は多い

  落ち込むこと・・・憂うつなこと・・・

   寂しいこと・・・悲しいこと・・・気力がないこと・・・

    そんなことが精神病だなんて


 人間の人間だからこその自然の生理現象・・・感情


   やる気いっぱいの毎日・・・が続く人

        そんな人間がいるのだろうか

  いつから人間の人間らしい感情までもが精神病になったのだろうか


   二日酔いは・・・極度の「うつ状態」

  何にもやりたくない  身体をもてあましてしまう

  自己嫌悪  

 でも・・精神病「うつ」ではない

   うつ的な症状がでただけ

   うつ薬を呑み続けると・・・本物のうつ病になる


   こころは薬ではなおらない

コメントありがとう・・・

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コメントをくださるみなさんへ

   やさしいコメントに励まされています

     息子が結んでくれたご縁・・・大切に・・・と思っています

 悲しみを抱えて生きている人に・・・同じ悲しみを抱えている人が
          誹謗中傷するのをみていると・・・かなしいです

   亡くなった人達が・・・どんな思いで死んだのか・・・
        を忘れてしまったのかなぁ~~~とさえ思ったりします


 日にちの浅いときは…かなしみでいっぱい・・・一日中かなしみ どこもかしこもかなしみでいっぱい
            ご飯も食べられない・・・からだじゅうが悲しみでパンパンに膨らんで

             はちきれそう 今にも 破裂して 壊れてしまいそう 

          時間が過ぎ・・・

  悲しみが凝縮され・・・他の感情も入り込む空間ができ・・・笑うことも出来るようになる・・・   

   そうすると・・・同じだと思っていた人が・・・・・

            違って見える・・・

最初から・・・自分ではないから・・・違う人だったのだが


      悲しみを抱える以前の自分が・・・悲しみよりも自分の身体の大半を占めてしまう人もいる

   悲しみを抱える以前の自分を戒め・・・悲しみと共に生きようとする人もいる

  自分が悲しくてつらくて身動きできなかったころを原点としないと・・・

     人は傲慢になる

   コメントはわたしの戒め

   そして 力

 たくさんのお叱りと嫌味も頂くが

   それ以上の ありがとう がある

      蔑みも裏切りも・・・批判も ののしりも

     息子の死を思うと  やさしい

 多くの本当に多くのやさしいつながりがある

       今日もそんなやさしい人たちが集う 悲しいご縁の・・・


遺族同士で傷付けあうのは

   遺族の支援を無償でしてくださる人たちに申し訳がない とおもう

 
 亡くなった人達の 悲しみや苦しみに思いを馳せたら・・・やさしくなれる

             なってほしい

  惑いながらでも・・・

 わたしは・・・自戒の毎日・・・

    だらしのない人間ですが・・・息子への懺悔を戒めとし・・・踏ん張って生きています


 コメントにお返事はしないことが多いわたしですが
      感謝しています
 ありがとう

死ね・・・という子どもの心を闇から連れ戻さないと、また死ねというだろう・・・

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死ね!という言葉は言ってはいけない絶対に・・・


 死ね・・・・・・って言う人は・・・人でなし


     何の権利があって死ねっていうのか


  どれほどの人間なのか・・・


    そして・・・そんなやつの言葉で死ぬのはもったいない


    そんなやつは・・・反省はしない

      死んだあなたのことなどすぐに忘れる


   あなたを愛する人が・・・一生苦しみか悲しむことを知ってほしい


   死ね・・・といえる人は  鬼・・・人間ではない


   いじめはどうして起こるのだろうか

      死ねと言った子供はまた同じことを繰り返すかもしれない


  息子の上司は以前にも警察官の部下が自死していた

  2人の自死  同じ上司


 学校でいじめをしていた生徒が社会でまたパワハラをする可能性も高い


  直接の殺人ではないが・・・完全犯罪の殺人者である
 
   

  学校のいのちの授業は・・・自分を粗末にしないこと・・・らしい  が

       自分のいのちも人のいのちも同じように大切なものであることを教えて欲しい


  生きてください

  生きて・・・


    

支援者の心のケアのための支援・・をする支援者

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震災後に特に「支援者のケア」「支援者をつなぐ支援」「支援者支援」

   そして支援者を支援するための支援者たちによる支援者育成


  支援者を支援する支援者のケアも必要なのかも?


 エンドレスで、支援者支援が必要

  山の手線のよう・・・

   面白い・・・不謹慎ですが・・



 こころからの支援をしている人たちは、
支援していると疲れるから自分の事を支援してください・・・とはいわない


たとえ疲れていたとしても   部外には漏らさない


   内部の事情だから


   なぜにこうも支援者が疲れることを大々的に公表するようになったのだろうか


  支援するって大変なんですよ・・・ということを  みんなに知って欲しいということなのだろうが

      お子ちゃまのよう


   小さい子どもが・・・ね~ね~こんなに頑張っているんだよ・・・って言うのと同じ


   7年前に国の支援担当者に意見を言いに行ったら

        「国は支援者を支援する支援だ」といった


 直接の支援は行わない・・・と


   なんて無駄なことをしているのか・・・と思った


 会議も講習会も


  省庁が直接場所を取らない

  間に業者が入る・・・業者が場所を取り、講師に連絡したり・・・会場の設置をする

         少なくとも自死の講習会やシンポジュウムなどは全て・・民間の業者が
                     中間にいた

      ホームページもないような会社?

 その先には・・・自死とは全く関係のない会社の社員がいる


   市役所の課長曰く・・・国は市が50万円で行うシンポジュウムの内容と同じでも500万円かける

           講習会も同じ   それは講師の謝金が高いのではなく

     民間会社に丸投げするからだ!・・・と。


  不思議な仕組みです

 

   支援者の支援のための人材育成・・・が盛ん  不思議な仕組み
      


   

秋田県の「結いの会」の存在を認め、連携してください・・・秋田の自死問題を考える組織の皆さん

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息子が風邪をひき・・・寝込み・・・回復

 夫が風邪をひき・・寝込み・・・回復途中


  わたし・・・沖縄からの帰りから風邪気味・・・寝込まず・・・

     回復途中


今年は元旦から・・・家族揃って・・・お腹をこわし・・・寝込み・・・回復



 夫が  腸の調子が悪くなり・・・回復



なぜか続く

  ポジィティブなわたしは・・・呑気にいつもと同じように・・・

  いつも以上に…洗濯と食事の支度

   生きていれば風邪もひく

      生きていればお腹もこわす


    生きているから腸も調子が悪くなる


    「人間だもの」「生きているんだもの」 

 
 16日の火曜日は  岩沼市のホテルで増上寺さんのお話の集い

(公民館が空いていなかった)


     9月の増上寺さんの法話の集いのときは岩沼以外の仮設住宅にもチラシを配ろうと思っている


 明日までに今年度の宮城県の補助金申請の書類を完成の予定

      18日は・・・サロン  19日に広島 29日講演

      精神科医療の問題提起の原稿もかかなきぁ・・・


 8月4日は・・・宮城県社会福祉士会の研修会


       その前に秋田に行く予定


     秋田県に「結いの会」への補助金の要望を・・・


   秋田県も・・・・・自死遺族が活動していることを・・・支援団体が認めようとしていない

    自死問題の活動の仕組みとして・・・官民の連携のモデル地域とされているが

    自死遺族本人の活動団体は民としての活動として認めてもくれない


   自死遺族の支援団体として支援者団体だけが認められている・・・


  自死遺族たちの団体活動が・・・連携すらされない地域・・・秋田県


    認めてもらいたい  と 願っている


    

  


  

支援者たちの概念から外れた規格外の自死遺族の活動

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  何年も前から・・・準備して(講習会やフォーラム、セミナー)自死遺族のこころのケアのための会
        を計画していた

◆2006年当時~~~

 仙台市でも国が主催し、2005年10月に大々的にフォーラムが開催され、分科会が行われたそうだ
(2008年頃に資料をもらった)
◆息子は2005年11月に亡くなった

 「息子が自死して、私も死にそうです助けてください」と・・・直接何度もお願いをしても

 返事は「会を開催する予定はありません」でした

 仕方がなく、わたしが自分で立ち上げる(遺族が遺族の会を・・・)という報道がされたら

  「 遺族には無理です・・・」 「会の運営の勉強をしなさい」
「秋には会を開催予定ですから、田中さんは春まで勉強して、春に立ち上げるのがいい」
   とか
言われました

 それは・・・後から聞えたことですが

 遺族が立ち上げると、マスコミも注目してしまい、自分たちの会の開催が目立たなくなってしまう

     そんな理由からのようでした


 全国的に有名な団体の代表からは何度も電話をもらい「遺族が自分だけでやるのは無理だよ!」と。
それでも引かないわたしに今度は「田中さん、春にしたらいいよ、7月は早いよ・・勉強しなきゃダメだよ」と言われた記憶があります

「どうしても立ち上げるなら、秋に自分たちが立ち上げ・・・その後の春に田中さんがたちあげるのがいい」と・・・

 公開しての自主的な活動など絶対にするはずがない!と思っていた支援者たちもまた、自死遺族を偏見の目で見ていた人たちです

 助けてほしいとすがったときは・・・無視して

   仕方がなく自分で行動を起こしたら、やれるはずがない  という 人たちが  当時の支援者たちでした


 遺族支援とは・・・支援者たちの考えた遺族になることでしょうか


     支援者たちが準備してきた自死遺族像になるようにすることが自死遺族支援でしょうか


 精神疾患者だといわれ・・・支援者の面接を受け

   個人情報は会議で報告され


 知らないことが幸せなこともあります


 何を言われどんなことが行われているのかを知らない事は


      ある意味で幸せです

が・・・わたしは知ってしまった

 わたしは、彼らが想定していた規格から外れた自死遺族だったために

    いろんなことを言われたのでしょう

  でも・・・そんな私の活動を受け止めてくれた人たちも多くいます

 戸惑いながらも・・・

   今は亡き・・・良原さんは、あたたかく見守ってくれた一人です


  自死遺族の支援は  以前にも書いたことがありますが

  地域で見守る・・という方向でした

  自死があったということを戸籍窓口から報告を受け、町内会長に報告、地域の保健所にも報告
   民生委員も含めて、保健師や町内会で「自死でご家族が亡くなったそうですね・・・なんでも相談してください」と訪問する・・という対策です

 そして、保健師が主催する会や訓練されたボランティア団体につなぎ、みんなで見守る・

   そのなかで、うつ状態にある遺族は精神科医につなぐ・・という対策を

全国的に実行するために・・・全国にモデル地域を定めて、その地域では実行されていました

   多額の税金がそこには投入されていたのです


 あと2年で(5年計画)・・・その最終報告が出され・・・全国で実行するはずだった


 そこに・・・わたしのような遺族が突然活動を始め・・全国放送され・・国に要望書をだし

  国に何度も何度も意見を言い続けた遺族の存在は・・・


   特殊な遺族・・・というレッテルを貼り・・・

    
     無視を続けた・・あきらめるだろうと思ったらしい「よくつぶれなかったね・・」と5年後に言われた


   2008年に全国自死遺族連絡会をたちあげ

   国が無視するなら、自分たちで、講演をし、パネラーを務め、問題提起しようと

   第1回目フォーラムを開催

      基調講演もすべて自死遺族


   自死遺族たちが・・・わたしを特殊な遺族にしてはいけない・・・と、それぞれに立ち上がってくれた


         それから・・国は少しずつ認めるようになってきた


  でもおもう

  自死遺族の活動をしている人たちも・・・自分のたっている位置の確認はしなければ

   道を踏み外してしまうこともある


時々立ち止まって・・・周りを見て・・・後ろも見て・・・


   亡き人のまなざしも感じて・・問いかけて

       活動をしないと


   自分勝手な活動になってしまう


NPO法人にしないのも社団法人にしないのも  最終目的は・・・自死のない社会  自死遺族の存在しない社会


       法人存続のための活動にならないように・・・という戒め

  

遺族のささやかな活動を批判する人って・・・何が目的なんでしょうね

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今から7年以上前
自死遺族が顔も事情も個人情報も公開して自死遺族の集う会の開催をしたのは、「藍の会」が初めてといわれました。

自死遺族の集いも
非公開の会や支援者による会はそれ以前にもあった・・・

 というふうに・・・NHKなどのマスコミには言われた

  ひとつの団体の一員として自死遺族が活動している会はあった


   だから・・・当時はマスコミに怒涛のように取り上げられた

  NHkの朝番組全国放送の50分番組にもなった


 当時は、支援をする人たちが、講習会などで勉強をして、その講師を招き、会の運営や遺族への対応をする

    そう支援者たちは信じて疑わなかった
なぜなら・・・自死遺族が、自死遺族と公開して自分で活動する会をたちあげた遺族がいなかったから

団体の一員として活動していた遺族はいたが・・・

 非公開の会は運営していたが・・・


自死遺族が会の運営・・代表・・・しかも・・・公開してなど

 国や県、市町村やボランティア団体の自死遺族支援を考えていた人たちからは

 想定外のことだったらしい

    自死遺族は支援される側にいるべき存在・・という考えが主流だった

それが・・突然に 自死遺族が顔も名前も連絡先も全て公開し活動をしたことに

   戸惑い・・・ありえない存在の自死遺族・・・として・・・わたしを感じたのかも知れない
   
  誤解のないようにこれだけは書こうと思う

  「藍の会」を立ち上げたのは  率先してではありません


 お願いをしてお願いをして・・・それでも・・・誰も応えてくれず・・・仕方なく・・・です


 「このままでは 生きていられないかもしれない、助けてください、自死遺族が集まって話ができる会を立ち上げてくれませんか・・・」と、県にも市にもボランティア団体にもお願いを続け、自死を考えるシンポジュウムにも必死に参加して、会場から「助けてください、自死遺族の会を立ち上げてくれませんか」とお願いを続けました。知事にも市長にも手紙も書きました。
県や市の支援担当と思われる窓口にも何度もお願いの電話をしました。
ボランティア団体が「会」の立上げをするらしいと聞いて、「いつ頃になりますか?」と電話をしても「そんな予定はありません」という返事

グリーフケア研究会が自死遺族の会を立ち上げるらしいという話を聞き、連絡先を必死に探して「いつ頃になりますか?」と聞いても、「そんな予定はありません」という返事でした

  十数回目くらいの電話の応対をしてくれた行政の窓口の男性が、
「政治家の力もお借りになってみては・・・」と周りを憚るように小さな声で言ったその言葉に
「あ!そうか」と・・・ひらめき

  必死で電話帳を探して(当時のわたしはパソコンは使えませんでした)
連絡~そして~つないでくれ~市会議員につながり
 話すこと3時間

 その結果「あなたがおやりなさい・・・私が全面的に支えるから・・・田中さんがてをあげたらつながってくる遺族がいると思うよ・・・そしたら分かち合って生きていけるよ・・・」といわれ

  痩せほそり、生きているのがやっとのわたしが生きて行くために、誰も立ち上げてくれないから、

 必死で立ち上げた会が「藍の会」です

警察官の息子は仕事に誇りを持っていた・・・その息子への思いを込めて。警察官の制服の色「藍色」の「藍」の会です

 そして活動をするはずのない自死遺族が中心となって活動をしたことで

   遺族支援の内容を決めて指針を作ってきた人たちも・・・想定外の自死遺族の出現に

     できるはずがない・・・と
  決め付け・・・
 自分たちの考えていた遺族ではないわたしにいろんなことを言ったのでしょう

   その当時「予定はありません」と応えていた団体も、県も、「遺族の会」の立ち上げ準備はしていたのです

  「 秋には立ち上げることが決まっていた」と、後からいわれました

 その当時「秋には立ち上げる予定です」と言われていたら

       「藍の会」も「全国自死遺族連絡会」も

現在、 全国にある自死遺族の会の多くも存在していません


 素敵な支援者だけに囲まれて生きている人は幸せです


  それはそれで素晴らしいことです

   
 遺族も様々・・支援者も様々   人間です


    たくさんの批判や差別的な扱いも受けましたが

   それ以上に、心のある人たちとの出会いもたくさん頂いています


 ・56歳までの出会いの人数よりも・・・息子が亡くなったからかの8年間のほうが人との出会いは多くあります


    人を蔑む人は・・・かわいそう

  
   こころの貧しい人


   世の中いい人だけだったら・・・誰も自死しません

   世の中善意の人だけだったら・・・殺人も、泥棒も、詐欺も。犯罪は起きません


 人は裏表があります
          
   わたしもそんな人間でした

       欲望だらけの人間でした

    息子が亡くなり・・・息子に見られていると思うようになり

          極力 うらおもての無い生き方をしようと活動しています


    

   


  

カタカナ語に弱い日本人・・・・・かなしい・哀しい・悲しい・カナシイ・愛しい~グリーフの一言で表現できない

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明日は、岩沼の仮設住宅にチラシを配る・・・朝早くに~~

   8時半の電車で~岩沼に

  午後は、遺族の「茶話会」


16日に増上寺のお坊さんがきてくれる

       慈恩寺さんも・・・


    感謝でいっぱい



   お経のお話は、こころが落ち着く


       無償の支援  の 継続  


   心あるお坊さんたちもいる


   心ある牧師さんもいる・・・神父さんも 尼さんも・・シスターーも


欲望のかたまりのような宗教者もいる

   偉そうな態度の宗教者もいる


  謙虚なひともいる・・・実り豊かな稲穂のように


  心豊かな人は・・・豊作の秋の稲穂のように頭をたれる


  心貧しい人は・・・・同じ稲穂でも実のない稲穂・・・まっすぐに立つ稲穂

      空っぽだから・・・頭はたれない



  頭をたれる人を・・軽んじ

     偉そうな人を・・・重んじる 日本人


   カタカナに弱く・・・日本語を軽く見てる・・・日本人


   悲しみ・かなしみ・かなしみ・カナシミ・愛しみ


   それを・・・・グリーフというと・・・なんとなく賢い言い方のように聞える


       アメリカのグリーフという言葉は・・・エモーション・・・という意味だという


  軽い意味の言葉


日本語のかなしい・・・・は・・・文字だけでも5つもある


  深い意味が含まれている


   ワンデープログラム・・・すごいことのように感じるのはわたしだけ?


  訳すと 1日の予定


  プロセス  手順・過程・工程


  ケア 介護・世話・関心を持つこと・注意を払うこと



  日本語のほうがきめ細かく・・・表現できる


  

  
   日本人の感性は日本語でなければ表すことができないと思う


  愛する家族を亡くした悲しみは愛しさである

 悲しみは愛しているから起こる感情

   だから、わたしの悲しみはわたしのもの


   私の悲しみはわたしの息子が亡くなったからわたしに湧き起こっている感情

  誰のものでもない


     人はそれぞれ  一人ひとり  悲しみがある


    それは  誰のものでもなく   その人のもの




   
   

人の不幸を食い物にする団体・・・・ 淘汰されたら、この国に良心があった証拠

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 7年近く、国の対策会議に参画させて欲しいと要望を続けてきた

その間に、国は自死支援の対策ということで、税金を使い遺族の心のケアをするためという名目で

講習会を開催したり調査をしたり、県や市が自称遺族支援団体と組んで、セミナーを開催したり
 会を開催してきた

   散々 金を使い・・・講習会もやりつくし・・・美味しいところは食い散らかして


後始末は遺族に・・・

     今度は震災遺族・・・震災遺児支援

 また税金で美味しいところ取りして

   遺族を支える人材育成・・遺族の相談を受けるホットライン

    遺児のためのビルの建設

   また・・・自死遺族と同じように・・税金が投入されなくなったら

     他の不幸を探すのだろうか

   
     行政の担当者もいつも新人では・・・エンドレスで最初からの説明

     引き継いだというが・・・なんにもわかっていない


   例えば・・「藍の会」が何をしている団体かも理解していない担当者に

    一からの説明はしんどい


   その労力だけでもかなり必要


   あきらめずに、きちんと毎度毎度同じ説明が必要

        前になかなかすすめない


   名刺に肩書きを入れた事はないが・・・行政用の名刺を作ろうと思う


  国の会議への参画も遅すぎた感は否めない


   参画しないよりはいいが・・・


  国からの補助金が地方に流れなくなったときからが、本性の現われるとき


   淘汰されるはず

   その後に残って活動している団体は  本物


  食い潰されたとしても・・・いつまでも食い物にされるよりはマシ





会いたいという本  明石書店  生きていて欲しかった・・・

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 「会いたい」の本 明石書店  ぜひとも読んで欲しい


   死にたい・・とおもう気持ち

   精神薬の副作用かもしれない

  のんでいない人で死に捉われてしまう人

  生きてください


 必死に母はあなたをお腹で育み、産み育てたのです


  命がけで産んだのです


  自分のことよりもあなたを優先して子育てしたのです


愛しているから~~~

      死んで何にも解決はしない

       あなたを愛している人達が苦しみ悲しむだけ


   いい人でなくていい

     ダメな人でいい

           

   生きていて欲しい・・という遺族の気持ちが綴られている


  いのちよりも大切なものはこの世にはない


    愛するいのちが喪われて・・・・・悲しみでいっぱいの人をなぜ人は責めるのだろうか

  
  

全国自死遺族連絡会は、精神科医療問題の専門団体ではない

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わたしの活動の基本は自死遺族の問題

 全国に自死遺族の自助グループを広め、歩いてこれるところに集える場所があればいいと思っている

 世間に知られたくないと思っている遺族がほとんどという現実・・・
    それを考えたら、遺族だけで集える場所が近くにあったらいい

     近くが嫌な遺族は遠くに参加したらいい

   遠くまでいけない事情の遺族もいるから・・・歩いていける距離の会も必要


   そして、自死への差別、自死遺族への差別的問題の是正



     そして、そして、自死の防止


   自死の防止の専門団体ではない

     が
 精神科医療の活動団体と勘違いしているのかな???と
       思うような人たちから連絡やご指導を受けることがある

    自死遺族の人たちへの対応がおろそかになっている気がする

   他のことが忙しすぎて・・・本末転倒だと反省の日々

       わたしの活動の原点は息子の自死

    自死遺族となって・・・見えてきた問題


       個人を責める気持ちは無い


   社会全体の問題として、提起してきたつもり


        やさしいひとたちがやさしいままで・・・笑顔で生きられる社会

             差別や偏見   そしていじめ  体罰や言葉の暴力

       金にたましいを売る生活や仕事


     欲望にたましいを支配された仕事  ドロドロした社会


      人間の限りない煩悩と身勝手さ

   そんなことが少しでも変えられたら・・・・・



      自分のいのちよりも大切な息子を喪い・・・

    大勢の遺族の声を聞き・・・


        遺書も読ませてもらい・・・


   そして・・・たくさんの善意と出会い・・・裏切りにも出会い

       学ばせてもらって生きています



   計画をたてていても動けないときがある

      動きたくないとき・・・気分がのらないとき


    そんなときは・・・無理はしないことにしている


  ゆっくり生きていこうと思っているが、回りは走っているように見えるらしい


 本人はのんびりしているつもり


    自死遺族の問題は根深い


    でも・・・悪いことをして死んだわけではない

      普通に生きていって欲しい

   悲しみは消えないけど・・・他の死と同じように・・・

     話せる死になってほしい


   話せる死になったとき・・自死は確実に減る・・・と信じている

  私の活動は自死遺族としての活動です・・・


  息子への懺悔の活動ですから

    

権利と義務~差別と区別~仁義~恩送り~~~大局を見よう

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天国って・・・だれの教え?

 極楽って・・・誰の教え?


   そんなことをお寺さんで教えてもらった

     
   ほとんどの人たちは、深く考えたこともなく・・・天国や極楽浄土・・・という言葉を使っている気がする

     信じること    無心に信じること

           キリスト教の教えは天国があるという


   仏教には極楽というところがあるという教えがある



     何を信じるかは自由

        わたしは特別熱心な信者では無いが・・・葬儀は仏教・・・墓も仏教式     

          戒名もある・・・・仏壇もある・・・線香もたてる


    だから・・・息子は極楽浄土に導かれた・・・と信じている


   浄土宗の教えは・・・「南無阿弥陀仏」と、唱えたら全ての人が阿弥陀さまに救われる・・・


       生きているときに唱えていなくても・・・遺された人たちが亡き人のために「南無阿弥陀仏」と

 唱えたら・・・救われる・・・阿弥陀さまに・・

    単純に言ったらこんな教え

  わたしは、それを信じている


      だから、わたしの死後も息子と同じ極楽に導かれると・・・そこで会えることを信じている


   お釈迦様の教えのなかから、法然上人が・・・全ての人々を救いたいと・・・

              庶民でも簡単に出来るお念仏を広めてくれた


     

    お金は阿弥陀さまは求めていません・・・と言ってくれたご住職


       信じることは自由


    広めようとはおもっていない




   会の出入りも自由


        束縛はしない



   区別と差別の違い

    権利と義務

          恩送りという考え方

  
 わたしは、凡人・・・

     能力以上の活動をしている


   目標は高く・・・


   自死ゼロを目指して・・・      

人はそれぞれ・・・私はわたし・・・賛同するも反対するもそれぞれ・・・自由・・・

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 遺族を支援するという前に遺族を傷付けないでください・・という声をあげました


      自死遺族とは知識のない人たちだから、私たち支援者が遺族を指導してあげなければならない

   というコメントを新聞に載せたグリーフケアの教授


   会議でも私の横で同じ言葉を発言していました


  有名なボランテア団体の事務局に


  田中様にはおわかりにならないでしょうけれども・・・という言葉から始まるFAXが届いたことがあります


 会合のご案内FAX・・・ その用紙の前にわざわざ 文書が読めない人扱いでした



   田中様にはお解かりにならないでしょうけれども、私どもは行政書式にて文書を作成しております

        おわかりにならない場合は、ご連絡いただけたら説明を致します・・・という内容です


   民間団体が行政書式というのもおかしなことですし


       そもそも・・・会合の案内が理解できない人、という扱いは失礼ではないでしょうか

   その時遺族でもある主人は国家公務員の現職でした。
      
        宮城県の支援担当にも・・(自死遺族がホームページ作れたんですか?)といわれました


    息子が自死しただけです

  普通に仕事をして普通に暮らしてきた私です主人も・・・

   
   自助グループを立ち上げたとき・・・私への風当たりは強く・・・


      遺族がたくさん集まると・・・

    マスコミにでるから・・・遺族が来るのよね・・・私たちもマスコミに取り上げられたら同じように遺族はくると思うんだけど・・・田中さんばかり取り上げられるのは、マスコミの○○さんとなんか特別な関係でもあるんじゃないんですか・・・と・・会合で言われたりしました

   きちがいだから・・はなれたほうがいい・・とか マスコミにも文書を流されたり

    行政の担当部署にも きちがい女・・・訴訟女・・排他的団体・・・いかがわしい団体


    


       そんな電話やメールやFAXを流されたり・・・


    田中さんの書いた文書で傷つき、精神が病んでいるから・・・賠償を・・とか


書いたらキリがないくらいまだまだ・・・あります

   全て・・・支援をしています・・・という人たちです

   

   今もですが・・・自分たちで対応できない遺族は私にまわってきます

    支援者たちから・・・


   
 田中さんは10年前何をしていたんですか・・何にもしていなかったでしょ


 と・・・支援者団体の言われたり・・・遺族で支援者として活動している人たちに言われました


    その時息子が亡くなり8ヶ月でした

     もちろん藍の会を立ち上げて活動していました


     10年前は幸せだったので・・自死の活動は関心もなかったです・・といい続けてきました


少なくとも私は息子が亡くなって半年後に活動をしたのですが


   

     私の活動は自助グループ当事者本人の会としての活動   相互扶助

    連携している人たちはいても・・・支援ではなく・・・対等の立場


支援するとか支援されるという立場での活動はしていない


    誤解を受けることが多い


     仏さまのような悟りの境地に至った人は・・・すばらしい

        尊敬します


     でも・・私はなれない・・・普通の人ですので・・・・

        それを求めないでください


       全てを受け入れ全てを善に解釈し・・・叩かれても・・・感謝して・・・

      ののしられてもありがとうと思い・・・

       なんて事は・・私にはできない


  自死遺族でも・・・支援者に感謝して支援を必要としている人もいるでしょう

 それを否定はしていません



    それぞれでいいと思います  人はそれぞれ


     私はわたし・・・


   

     

 相互扶助の考え方と、支援という考え方・・・私は支援者になれないし、なろうとも思わない    

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私は、神様でもなく、仏さまでもなく、普通の煩悩だらけの人間です

 怒りもあれば、悩みもあり・・・憤ることもあり・・・酒も呑み、失態もあり・・

 迷い、戸惑い、恨むこともあり・・・

     惑いながら生きています

   私の考えは・・・人のブログにコメントをするときは、賛同したときだけです

     考え方が違うときは、参考にしておくだけです

          その人の考えかたですから

    そして・・・気分が悪ければ読まない・・・訪問しないだけ


    読まない自由も選択肢としてありますから


   これは・・私の考え方です


       支援者の全てを批判しているのではなく

      嬉々として・・という人たちもたくさんいます


   大野裕先生も 苦しい人を助けるという行為は喜びである・・と講演で話していました
(仙台でのことです・・・人を癒してあげたいという気持ちはその人の脳のドーパミンが活発化し
     喜びとなる・・・苦しみから救ってあげたい気持ちは高揚させる・・・と)


  遺族に「皆さんの悲しいお話を聞かせてください・・」と毎回挨拶する保健師



そして陰では・・遺族の話は疲れるよね・・・しんどいよ・・・

   でもかわいそうな人たちだから・・・聞いてあげなきゃね・・・


    などという人たち・・・(私のことは遺族だということを忘れてるらしい)


   癒しの伝道師と自負する人


    満面の笑みで(結婚式の司会のよう)
「こんなに多くの遺族の方に参加いただき大変嬉しく思います・・・今日は勉強に来ました」

 と挨拶する保健師

 青森県の自死遺族の会  泣いている人たちが多くいる遺族の会でした


   岡先生をはじめとして・・・遺族ではない人たちも大勢連携していますが

 彼らは・・・支援者という意識はなく・・・一緒に歩かせてください・・・という姿勢です


   素晴らしい人たちです


   私にはもったいない人たちがたくさんまわりにいます


    お叱りの多い・・私のブログですが

          ブログは私のホンの少しの本音



    日々の活動はほとんど書いていない

        指導してあげなければ・・と思われることがおおいのは・・・

     ダメダメ人間だと思う人がおおいのだろうか・・私を


   力量が不足でも・・・ダメ人間でも・・・

       一人で始めた活動・・・自分の力で・・・資金も自分で稼ぎ

      その活動に賛同して・・・つながった人たちが大勢いる・・・遺族以外も・・・


   一緒に歩く仲間がたくさんいる・・・

   その輪が広がっている


     凡人の私の周りに・・・大勢いる



   立派な人格者にはなれないわたし・・・です


   文章の能力が不足のせいもあるのでしょうが


    私はブログにだけ書いて終ってはいない


      必ず 行政にも要望書として出していますし・・・会議でも意見としていう

   全てではなくても・・・支援者と名乗るならば・・・姿勢は問われる


      私は支援者ではない


     支援しているわけではない


    人を支援する・・・助ける・・ケアする・・・ということは覚悟が必要です


        支援するほどの能力は私には無いことを自覚している


   共に考え共に歩く事はできる


     だが     その人を支援するという考えはない

  
    支援者にはなれないから・・・

          




           


  

遺族に遺族に起こる症状の説明をする支援者・・・遺族よりも遺族のことが分かるのかな?

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市立病院の救急に搬送されて亡くなった人の遺族(自死)へのパンフレットを作成中との連絡を受けた
「藍の会」も載せたい・・というお話

 内容は・・・支援者が考えるものだった

  支援者用のパンフレットの内容と当事者用の内容は 違うはず

そして・・遺族は病気ではない

  糖尿病とは・・こんな症状が・・・
     という説明書と同じではないはず


   遺族ではない人たちに遺族とは・・・こんな人たちですよ・・・と教えるためのパンフレット
  ならば・・・遺族に起こる症状の説明もいいと思う

(((これもどうかと思うけど・・・遺族という人たちはこんな症状があります・・・って学ぶ必要があるのだろうか)))


  なぜ遺族が遺族ではない人たちから・・・

    遺族になるとこんなこころや身体の変化があるんです・・・と

教えられなければならないのだろうか


   亡くなった人のことが頭から離れない

    何もする気になれない

   自責の念が強く起こる

 気分が落ち込む

  怒りが起こる

罪悪感・孤立感がおこる

   食欲がなくなる

 
  等々

  遺族がなぜ・・・自分の感情を他者に教えられなければならないのだろうか


   遺族である事は誰よりも遺族が自覚している

  そして・・・悲しいことも・・・苦しいことも

   遺族自身が実体験中である

    それなのに・・・なぜ・・・


  遺族はねこんな気持ちになるんですよ・・・と遺族でない人に教えてもらう必要があるのか


    誰に見てもらうパンフレットなのか・・・


       民間企業ではこんな間違いは企業の破滅につながる


        

世間体・・・・・子どもを亡くして今更・・・・世間体は必要ない

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 キツイ・・・かもしれない・・が・・・時々思う

 愛する家族が亡くなった・・・・悲しい気持ち・・・伝えようとすること
          ・・・生きていたことを伝えようとすること

喪われたいのちを活かそうとすること

   なぜ・・・世間の目が気になるのだろうか

  世間より・・・親戚より・・・

       亡くなった人のまなざしが気にならないのだろうか


  世間よりも、私は息子が大切

   世間よりも家族が大切   子どもが大切


   世間なんて、困ったとき何にもしてくれない

     無責任に言うだけ

  今、100円に困っていても・・・世間は笑うだけ

      貸してもくれない


   そんな世間の目をなぜ気にするのか・・・私にはわからない


 世界中の人たちが息子を非難しても私は息子を誇りに思う


     そして、彼の尊厳を守る活動は続ける


   テレビに出ようが新聞に出ようが・・・講演しようが・・・雑誌に出ようが

        世間にとやかく言われる筋合いはない


      息子に・・・かぁちゃん頑張ってるね・・といわれたらそれだけでいい

   自分への蔑みは我慢できる

     息子への蔑みは我慢できない

        世間体なんて・・どうでもいい

     世間に迷惑はかけていない

(生きているだけで迷惑と世間がいうなら・・何が迷惑か・・・と問いたい)


   存在が・・・というなら・・・お互い様・・といいたい

  私が最も迷惑をかけ世話になった親はもういない


   大切なもの・・・は子ども・・家族・・・


     世間ほど無責任なことをいう存在はない


  そんな世間の一員でもある自分


     自戒を込めて・・・



         

       

  

ケアする人たちが満足するケア

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24日から、ブログを書く時間もなく、追われていました・・・


 阪神淡路の震災から「こころのケア」が流行ったらしい

   こころのケアという支援が実行されたのだろう


   しかし・・・阪神淡路では自死は増えている


     それって・・・効果が現われていない!ということのような気がするのは・・・私だけ?でしょうか

    こころのケアって・・・どんなことをするのでしょう

   どんなこころをどのような方法でどのようにケアや支援をして
         ・・・どのようなこころにすることを目的としているのか

    という   肝心な内容が示されていない


 漠然とした、とてもあいまいな 言葉の一人歩きのケア

       こころのケア  響きのいい・・善意の塊のようなケア

    例えば遺族の心のケア・・・って・・・どんなことですか

    私も遺族ですが・・・どのようなケアをしてくれるのでしょうか

     私が望むケアをしてくれるのでしょうか


  風邪をひいて熱があるのに・・・熱いからと、
クーラーをつけ、薄着をさせて・・・冷え冷えの部屋に寝かせて熱を下げようとするようなケア

       遺族が元気で活動すると・・・特殊な遺族という


         泣いていると・・・・嬉々として近づき、泣いている原因を話してください・・・という


      半年泣いていると・・・今度は病気という

ケアする人たちの思うようになる遺族でなければならないのだろうか

  遺族はまるで、支援者の心のケアのための存在のようである


支援者の日々が満足なように

        支援しているという気持ちが満たされるように




       1ヶ月に2時間くらいのセッションで

          他の時間は接触を断ち

     718時間はケアなしで・・・

    元気になったとしたら本人の力なのに・・・ケアを行ったから元気になったという


   1ヶ月2時間 1年間で24時間  会うだけ
           それで 悲しみを抱えていたら・・病気 
                元気になったら
            ケアできたっていう


    傲慢もここまでくれば・・・呆れて あほらしい

   しかし・・・それを世間が認めるから始末におえない



   世間は、ケアしているんだから・・・ケアを受けたらいい・・・と思っている

      ケアを必要としないなんて・・・遺族は傲慢だ、わがままだと思っている

   助けてあげようとしている人にたいして失礼な遺族だと言う

        こころなんてケアできないことなど・・・世間は知ろうともしない


       耳障りのいい言葉に惑わされて・・・本質が見えない

          みようともしていない

      どうして・・・当事者の望む支援には知らんふりで

                  押し付けの支援が多いのだろうか


   やはり・・・・そこには、悲しいんでしょ・・困っているんでしょ

     支援してあげるんだから・・・黙ってありがたく受けたらいい・・・




      そんな上から目線の支援の気持ちがあるのではないだろうか