
どうしてグリーフケアの原点に戻らないのだろう
「終末医療」末期のがん患者の自分への悲しみ苦しみを軽減させるためのもの・・・自分の死を受け入れる
死という恐怖からくる苦しみと悲しみの受け入れ
静かに死を迎える・・・ために
それが・・自分が死ぬという悲しみと、家族が死んだ悲しみも・・・同じ悲しみだろう
ついでにペットが死んだことも・・・家が流されたことも・・・仕事が無くなったことも
悲しいという気持ちは同じ・・・という考え方が広まった
悲しいという大きな括りで考えたら。。。遠くから見たら悲しみは同じ
そんな大雑把な考え方で、家族の死を括るのはあまりにも無神経
繊細さに欠ける もっと細やかな配慮が必要とされるべきものではないのだろうか
日本人は日本人の感性がある・・・
日本という土地柄。。民族性。。。文化。。。宗教観。。。死生観。。。がある
古代から培われてきた風土に根ざした感性を
否定して アメリカという国に根ざした考え方をそのままに、日本人に押し付けるのは・・・
自分の国の死生観に自信がなく、ある意味でアメリカかぶれ・・・
自分が日本人としての誇りがない人
輸入物が大好きなその辺のおばちゃんと変わらない
自分が日本人として生きていて、生というものも、死というものも・・日本人だからこその
オリジナルな考え方が出来ない人たち が グリーフケア崇拝人間
私はそう思っている
息子が自死で逝き・・その悲しみを抱えたままで生きて行くしかない・・・と思っている
そんな私の悲しみをどのように回復、ケアしてくれるのか
あ!!!複雑性悲嘆・・・病的悲嘆 精神科にいったほうがいいですよ・・・
というんだね きっと・・・
本来のグリーフケアの考え方に戻ったら、救われる患者はいるのに・・・
精神科の医療と同じで、何でもかんでも・・・同じくくりにするのは
乱暴すぎる
浅はか過ぎる
スポンサーサイト