
ブログに対してのコメントには、あまりお返事はしないことにしていますが・・。
たとえば
震災で子供を亡くした遺族の集いを震災で子供を亡くしてもいない私が・・・わかるんですか?
という意味のコメントも
わたしの以前に書いたブログをみたら・・・そのようなコメントにはならないはずです
ここで改めて言わせてもらうと
震災の遺族支援はするつもりはありませんでした(この事は取材者にも遺族も伝えています)
自死の問題に対する全国活動だけでも、いっぱいでしたし、震災の遺族支援は全国から支援者が来て行っていましたし、「自死」遺族が・・・・・なんで震災に・・・という世間の目を感じていましたから。
一線を画すると考えていました。
5月のある日、夜帰宅すると自宅の電話に留守電が2件・・・
警察と消防勤務の息子さんを震災で亡くされたお母さんからでした。
自宅の話はいろんな機関で公開されています(自死遺族の会としてです)
そのお母さんからの泣きながらの留守電は・わたしに何ができるのか・・・いや・・・何もしてはいけない・・・・・・と考えるひとつになりましたが、
震災の活動は自死遺族で震災の被害にあわれた方だけの支援に絞っていました。
そのすぐ後に、産業カウンセラー協会の方に呼ばれて・・・話し合うことになった出来事があり・・・
(その方は自死防止活動を一緒にしてきた仲間です)
いろいろな話をする中で・・・「田中さんやってよ・・・動いてよ・・・俺らは俺ら産業カウンセラーとして頑張るからさ」といわれたのです
自助グループ活動を広めてきたわたしの頭にに浮かんだのは
元々2007年から自死遺族の会とは別に、様々な形で子供を亡くした親の会は仙台で毎月開催していた「つむぎの会」なら支援者というたちばではなく、相互扶助ができる・・・と考えて
様々な形で子供を亡くした親の会「つむぎの会」を仙台の他に気仙沼市、石巻市と広げました
(これも、産業カウンセラー協会のその人に言われたのです・・・仙台だけでいいのか・・・まだ交通の便も悪い中で遺族に仙台まで来いって言うのはダメだと思う・・・現地に出かけていくべきだ!と)
それなので、1回目から・・・参加した遺族には「いづれ皆さんで運営して欲しい・・・3月11日、地域が同じだと亡くなった時間も同じ、津波という震災で亡くなったことも同じ・共通することが多い・・・そして子供・・皆さんでバラバラになったコミニュケーションを作り直してください・・・わたしはそれまでのお手伝いです」と気仙沼と石巻にはいいました。
石巻は2012年の春に独立しています・・・そして子供だけではなく・・・震災で家族を亡くした遺族の会もその人たちが開催しています
石巻も代表が震災だけではなく病気で子供を亡くした親にも輪を広げているようです
「つむぎの会」は事故や突然死、自死、震災、病死・・・様々な形で子供を亡くした親の会です。
「子供を亡くした 親」という形の自助グループ本人の会です。
それから・・コメントは閉鎖するつもりはありません
ブログは公開されていますが読む読まないの主導権は読む側です
気分を害するなら読まなければいいこと・・・単純です
震災の遺族支援を積極的にされている支援者団体もありますが
わたしは自死遺族支援や防止、予防活動で・・・国の中にある差別的な法律の是正等々の問題もあり・・・
補助金ではまかないことも多く、自前の資金が総事業の3分の一です
家にもいないことも多く・・・
美容院も行かず自分で髪の毛を切ることがほとんど・・時間とお金がもったいないのです
それは、あんたの勝手といわれそうですが
わたしは・・・本当は活動したくありません
息子が生き返るなら・・・
子供を亡くした親も・・・一人っ子を亡くした人もいれば・・・3人の子供を全員・・という人もいます
子供だけではなく夫や親も亡くした人もいます
それは震災だけではなくても・・・・遺族一人ひとりに人生があり・・・人間模様があります
わたしは震災で子供を亡くした親の気持ちをわかるとはおもっていません
子供を亡くした親としての悲しみはわかります・・少なくとも・・・・子供を亡くしていない人よりは・・・
つむぎの会は震災後に立ち上げたものではなく・・・元々仙台で開催していた会です
だから元々仙台は・・病気や事故、突然死の親たちが集っていました
こんなことを何回も書く自分が嫌いです