
この頃
息子を思い 胸が締め付けられることが多い
18年たったが
最近特に頻繁に胸が痛く
お腹まで締め付けられて どうにもならない症状が出る
なんとか ごまかしながら 過ごしているが
何だろう
息子の死をごまかしながら
いない暮らしを18年してきて 慣れてきたと思うが
心の底には 18年前と同じ悲しみが沈んでいる
キリキリと痛いのではなく
どんよりと ずっしりと重たく 痛い
どうにかできる問題ではない
どうにもならない
でも 世間からは 普通に 年の割には元気に見えると思う
幸せそうに・・・・・・・・・
人は見かけでは 図れない
でも 人は見かけで人を決めつけてしまう
身体が大柄だと こころも大柄だとか・・・
車いすの人を
乳母車の印象とかぶせ 知的な障害があると思う人や
赤ちゃん言葉を使う人もいる
無口な人を暗い人と思ったり
職業だけで その人を良い人と信じたりする傾向がある
裁判官だって 悪人はいる
医師だって 悪人はいる
頭脳明晰 成績の良い人が 人柄がいいわけではない
成績のよさや職業と
人柄は全く別物
日本人は特に見た目での判断が多い気がする
いつから こころを尊重しない国になったのだろう
昔から・・かな
見た目の・・目先の・・・ことが最優先
将来に投資しない人間性の様な気がする
息子が逝き、自死の問題だけで生きてきた
自死遺族の相談は誰よりも受けてきたと思う
受けた数だけ 問題を発見し 学びがある
人生は小説よりも奇なり・・・ですから
想像をはるかに超える
人生がある
日本という国に住む人の自死が多いという事実
なぜなのだろうと
考える力が必要なのに
考えず 別の目的で集めたデータを使い 対策を講じている今の日本
自死が減るわけがない
増えていると叫んでいる団体や国
税金を使い 対策を講じて 自死の対策の専門家だと豪語しているのだから
自分たち団体や組織の責任を振り返るべきだと思うのだが
増えると世間の問題にして
減ると自分たちの対策が・・という
なんて都合のいい専門団体なのか
長野県モデルを推進する団体と国
長野県の対策は成功していない
増えているのだから自死が・・・
子供の自死を増やしたいから 長野県をモデルにしているとしか思えない
成功例をモデルとするべきなのに
誰も指摘しない
なぜ?
本気で誰も取り組んでいないことになる
本気で子供の自死に取り組んでいたら 長野県の対策がモデルだなんて反対するに決まっている
自分たちの対策を自慢したいだけの人たち
減るわけがない
誰も本気で取り組んでいないのだから
誰も自死を減らそうと本気で思っていないんだから
本気で取り組もうよ‥と声をあげる当事者団体を潰そうとしているんだから
息子の事を思い 悼む気持ちが増しているのは
どうにもならない現状に虚しくなっているのかもしれない
自死した人を悼む気持ちを持ったら
本気で減らそうと思うはず
でも 仕方がないかな・・・活動がビジネスだから
自死が 増えてこその ビジネスチャンス と 思うのも普通なんだと思う
所詮 他人のいのちが失われるだけのことと 思っているのでしょう
遺族の中にも 自死の対策で生活費を稼ぐ人もいるから
遺族だから・・・支援者だから・・ではなく
人柄…人品・・・
人としての在り方の問題なのでしょうね
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