
自死への差別はいたるところにある
いじめで亡くなった子供のために
植樹を学校の敷地で行ったりしている地域もあるが
仙台市のように
学校はなくなった子供のために
花の一本も供えることなく
地域の人が献花台を作り
地域の人たちが お花を供えても
壊したり
して
5年が過ぎたから もういいんじゃないか
という市役所
震災は慰霊碑があちらこちらに建てられ
交通事故も ずっと 献花され
祈りの地蔵さんまで 建て
語り部活動が推奨され
いじめが原因と答申で認めた自死でさえ
穢れたことのように
撤去をするように 看板を立てる行為は
たとえ 子供がいじめで亡くなっても
他の死とは違い
気持ちが悪いという嫌悪感があるという事になる
子供の死を悼む気持ちがあれば
無理やりの撤去はしない
震災で学校の判断ミスのために亡くなった子供と
学校内でいじめにあい 学校の判断が甘く
解決できず 追いつめて 自死した子供と
何がそんなに違うのでしょうか
震災の死者のために
慰霊碑が たくさん建てられ
遺族が建てたお地蔵さんや観音さま
それも 大きく 立派な
それでも
みんなが手を合わせ
行政も認めて
忘れないように 忘れてはいけない
と 叫んでいる
市役所との和解の条件にもなっていないのに
和解したから・・・・撤去という理由
もう年数も‥‥という理由
震災は10年すぎて 忘れないようにという
事故も15年過ぎても 忘れないように・・・という
戦争なんて75年すぎても わすれないように・・・という
自死は5年過ぎたら
もういかげん 年数もたったから‥といわれる
いじめがあった学校の近くの学校で
いじめ自死があっても・・・
調査委員会が開かれていても
今もいじめで入院したり 転校している子供がいても
自死だからという理由で
強制撤去される献花台
差別はアメリカだけではなく
日本でも多くの差別があることを
多くの日本人は知らない
差別とさえ思っていない
自死への差別を 遺族は感じてほしい
そして その差別は
遺族にではなく
亡くなった人への差別であることを知ってもらいたい
遺族に自責の念があるなら
亡くなった家族への 差別を許してはいけない
自分への差別なら まだ無視できるが
苦しみ悲しみ 自死した家族を
死んでまで 差別されることを 容認してはいけない
と
私は思う
その差別を是正するために
自助グループ活動をしてきた
わかちあいの会だけではない
全国自死遺族連絡会や法律の専門家たちとの自死遺族等権利保護研究会も
立ち上げてきた
泣いて泣いて泣いて
死んでいった息子を 蔑む社会を 変えなければと思い生きてきた
社会に追いつめられた末の死であるといいながら
社会は
自死を蔑み
自死者を差別している
スポンサーサイト