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自死後の事情聴取と解剖(費用は遺族が払う) 任意です‥断ることが出来ます

OIP (1)

 自死が起きた時 最初に出会うのが警察官や消防員
    次に死亡確認のための医師
 
 たまに 解剖をしますと言われる遺族がいるが
   任意ですから
  お断りすることが出来ます。

警察官は説明もせず  解剖が義務のようにいいますが
   違います
自死=解剖という事はありません

 事情聴取も任意です
  断ることが出来ます

事情聴取に関しても 「任意です」という説明をしていない警察官がほとんど

あくまでも  遺族に協力をお願いするということでの「任意」です。

断わっても罰せられません
  解剖も断っても罰せられませんから。

死亡後に 更に傷つけ切り開いて  遺族には何のメリットもありません
しかも
解剖の費用は遺族が負担

 警察が自分たちの調査のために 必要だから
  解剖をしようとして
     費用は遺族にって  変です

警察が必要とすることがあっての解剖なら
 費用は警察が持つべきです

事情聴取だって  犯罪なのかもしれないと喪しれない発見者や遺族への事情聴取をするわけで
    遺族にとって  どうでもいいことです

   事情聴取で犯人扱いされて 傷つけられるなら
        断ったほうがいい

   混乱状態の人から聞いた内容が 自死の統計となっているのだから
      警察庁発表の自殺統計データが
  正しい情報からは
  遠い内容となっていると考えるのが普通

   厚労省の統計も同じ

 データの  基本原票が  事情聴取ですから

  事情聴取と解剖は 断っていいんです

  また
事故物件という概念も
遺族は持たなくていい
 遺族には
 告知義務はない  

   不動産取引上の 問題

 積極的に 事故物件ですと 報告する必要はない

   検案書をみた人だけが 知る事実

医師も役所も もちろん警察官も
 守秘義務が課せられている

真実を知る人で
  言ってもいいのは 遺族だけ

    遺族が 自死という事を言わなければ  周りは知らない事になる

  警察に協力して  
結果  遺族の個人情報や自死した人の情報が
 いろんな機関で
共有されているが

   遺族が協力しなければ  情報は世間に知らされることは無い

   遺族が費用を負担してまで
    情報を提供することは無い

       どうせ  家族が・・・個人が・・

  対策なんて打ち出すこともなく
  自死遺族への支援だって
      何もしてくれるわけでもない

        どうして 自死した人を追い込んだ社会に
  遺族も追い込まれ
 更に金まで請求され

     差別されなければならないのか‥と思う

 自死した人やその遺族を あまりにも バカにしている

    最近 特にひどくなってきたと感じている

   支援者たちのほとんどは
自死遺族を追い込んでいる問題を 改善しようとしていない 

いまから 仙台市の教育委員会に行ってくる

  小学2年の娘さんがいじめにより 追い込まれ 母親も追い込まれ
  二人で亡くなった事案
  代理人を務めている

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自死した場所のお祓いって・・・何をお祓いするのでしょうか

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3月3日
福山市の浄土真宗の教区でお話をさせてもらった。

京都2か所茨城・神奈川・宮城、愛知・和歌山など宗教者の前で話す機会を頂くことがあった
 自死への差別と偏見などの内容が多い

 事故物件ということでの 家賃の賠償金などの請求が自死遺族にはされるケースが多い
そして
  お祓い料という請求もある

あるNPO法人(自死予防)の代表が
  講演で お祓いの話をしていた
     ご祈祷のお経の無い宗派のお坊さんが 
 遺族にもとめられたからということでお祓いをしている
   それも遺族支援だということだった

   料金は取っているという事

   それはある意味 遺族支援ではないと思うと 質問をした

私自身
  自死への偏見はないと思っていたが
   息子の亡くなった場所を 拝んで欲しいと 葬儀を依頼したお坊さんに お願いをした
 お坊さんは
  仙台から多賀城まで来てくれ
  玄関を入り「鴨居は拝みません」
         「息子さんのお骨とお位牌の前でお経を唱えさせていただきます」といい
   葬儀を終えて
    すぐの 白木の位牌とお骨の入った骨箱に向かいお経を唱えてくれた

私はこのお坊さんの一言で ハッとした
  そうだ
 息子はそこで息を引き取ったけど
      そこに息子がいるわけではない
   息子の魂は そこにはいない
  と気がついた
  
そもそも
 息子の魂がそこにいたとして  お祓いをして
息子の魂を
どうしようと思ったのだろう・・・わたし

そんなことも
そのお坊さんに 教えてもらった

宗教者であるなら  遺族が頼めば お金を出せば
 言われるがまま    柱にお経を唱える

のではなく

遺族に諭すことも宗教者ではないのだろうか

 多くの宗教者が
    亡くなった場所を お祓いという事で手を合わせたら
    そこに
  亡くなった人が 地縛霊のようにいることになる

何のために位牌があり  仏壇があり ご本尊があるのだろうか

  宗教者がお祓いという作業を請け負わず
      遺族を諭してくれたら

遺族の中にある  地縛霊のような存在としてのお祓いがなくなり
 人が亡くなった場所が 気味が悪いという場所ではなくなっていくはず

病院は 毎日人が亡くなる場所
 でも 人は病院がそばにあるほうがいいという
    震災でたくさんの人がいろんな場所で亡くなったが  その場所は事故物件にはなっていない

人の心の弱さをしっている人たちが
弱さを突っつく  
  お祓いや ご祈祷を生んだのだろう

宗教者は 人の死に対して 差別をしてはいけないのではないのだろうか
   差別を生む行為もしてはいけないのではないのだろうか

 阿弥陀仏や釈迦仏は
   人を・・・亡くなった人を 差別はしない

  どのような人にも 平等に・・・慈しみの光りを注ぐのが仏様や神様のはず

その教えを 信仰し 代弁者・通訳者としての役目を担うのが宗教者のはず

      そして
私の知る範囲ではあるが
  宗教者ではない  普通の人が お祓いを仕事としている人がいる
     作法だけ

また お祓いもせず  遺族から金だけ取っている不動屋もいる

   遺族は 家族が亡くなった場所をお祓いしないでほしい

    ご供養と お祓いは違います

手を合わせるのと  お祓いは違いますから

        宗教者の皆さんが  自死があったからと お祓いをするのはやめて欲しい

  なにをお祓いするんでしょうか

減らない自死


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良き友に恵まれていた息子
      彼を追い詰めた事とは何だろう


今でも考える

   息子の死後 私は自死の対策のど真ん中で生きてきた

  ・・・・・・・・国も地方自治体も・・・民間団体も 研究者も・・・
    
   悪気はないと思うが

   これまでの対策の継続では 自死を減らせない

 仙台市について述べると
   「自殺対策連絡協議会」という会合に2007年から参画し
     意見を言い続けてきたが
   私の予測通り
現在は政令指定都市の中で ワースト1である

 学生生徒が倍増

   そりゃそうだ
    パフォーマンスだけが立派だが
中身はない

全国的に著名なコメンテーターなどは
  仙台市の自死の対策を認めているが
     実態を知らなさすぎる

自死の対策は
減らしてこそ・・・の評価

  増えているのに  対策だけが褒められるって・・・
      対策を講じている行政も
      評価している民間団体もコメンテーターも・・・どこを見てるのか‥と言いたい

  宮城県全体は減っているが
   仙台市が増えている・・・

全国的に見ても
 高止まり

  当然の結果
  私が活動して16年が過ぎたが
     当事者の声がほとんど反映されていない対策ばかりが推進されている

    勤労者のうつ病が これまでの最高数だと報道があったが

  うつ病(うつ症状)を増やしている勤務先の改善がない
  精神科医療機関も
  治す気持ちがない(治せない)

普通に働いている人たちを
うつ病(うつ症状)にさせている職場の(パワハラも含む)環境の改善が
      対策としては 少なすぎる

追い込まれたら
相談してください
追い込まれたら精神科に行ってください
   追い込まれない対策は????どこに???


息子の死後警察という組織の闇を感じているが
   改善されている気配はない

   
   言葉で人を追い込む社会と
  知っていながら
 知らないふりをする世間

    小さな悪事に敏感で
大きな悪事に寛容な世間

 自死に追い込む社会が

自死の対策を講じている社会にも存在する

 息子を追い込んだ社会が今も続いている

    

人を追い込む社会(人を追い込むのは人である)

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人はなぜ
 誹謗中傷をするのだろうか
日本には差別がないと思うのは大きな勘違い
 全国至る所に差別はある

民族や地域差別だってある
 病気の差別もある

 言葉の暴力は日本も多い

こころの貧しい人たちが多いという事
 
  自死はその先にある
言葉によって追い込まれた末・・・・・・自死に至る
大勢の人たちが寄ってたかって
生と死の境にある断崖に 言葉でじりじりと追い込んでいく

   追い込んだ人たちのその後は 次の追い込むターゲットを見つけて また追い込んでいく

  どのように育ったひとたちなのだろう・・・と思う

   幼い頃からの環境だろうか・・・?
自死した人たちは
追い込んだ人たちとは真逆の人たち
  追い込まれた人たちなのだから・・・

家族間でわがままを言う事はあっても
    他者には
     自分を抑えて 言う事が普通と思い生きてきた(そう育てられた)
子どもたちもそう育てた

 他者を追い込む方が 幸せに生きられる社会
   だとしたら
学校も含めて  そう教えていくべきなのだろうか

   全員が他者を追い込む人たちだとしたら
    社会は成立しない

やさしく思いやりのある人たちがいるから
   追い込む人たちが  満足して  生きている
意地悪も
  誹謗も  ほどよく・・・ほどほどに・・・と思うのだが
  人の欲望は無限
     次々と エスカレートしていく

   人を追い込むことで 幸せ感を得られるような人たちは歪んだ性格が確立しているが
      見てみないふりをしないで
        ダメ!
と  伝えるべき

   他者を追い込む権利は誰にもない

   自分が追い込んでいる事に気がつかない人はいない
     どこかで快感を覚えているのだから

ストレスの発散を
    他者を追い込むことに求めずとも発散の方法はいくらでもある
  
   一人ひとりが
    他者への思いやりを少しでも深められたら
 自死はなくなる

  彼らは生きたかった人たちなのだから

 生きる希望を奪った人たちは
   あちらこちらに潜んでいる

      社会を作っているのは人
社会問題は
人の問題

  息子は生きていたかった人
 生きたかったであろう人生が 失われてしまって17年
    かなしい

毎日が命日

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息子の命日が過ぎ
 母の命日も過ぎ・・・た
年を重ねると
  親族の命日が増え 知り合いの命日も増えていく・・・
昨日円卓会議を開催した
  過労死・過労自死がテーマ
    過労死は過重労働に起因することが多い
過労自死は
 それにパワハラが加わる

「ことば」の暴力
「ことば」の殺人

人を追い込むのに刃物はいらない
    言葉があればいい

という事をどこかで聞いたことがある

過重労働で疲れ切っているところに
    「能力がないから残業している」とか
「仕事の覚えが悪いから・・・」とか
「どうしようもない奴」  
アホ・バカ・死ね・クズ
     何とか障がいだ
お前のせいで
  仕事が終わらない とまで言われ

あれもこれも  仕事を押し付けられる


        

     終わりの見えない仕事とパワハラ
頑張っても 誰も認めてくれない
   誰も・・・・

自己肯定感は 消滅
 そりゃ
死ぬよね

 自死を本気で減らす気があるなら
    自死をビジネスにしてはいけない

ビジネスにする団体があるのは  世の常だから仕方がないと思うが
そこが中心では 減らす事はできない

  当事者の声を中心にして対策を講じなければ
       自死は減らない

 今、話題になっている 宗教団体への寄付金対策も
   当事者の声を真摯に聞かずに
     専門家と称する人たちが決めようとすると
現実とはかけ離れてしまう

    法律の専門家も  それぞれの事案の専門家ではない

それぞれの専門家が
多くの当事者の声を聞くことで 当事者の求める対策ができる

今の日本の自死の対策は
    一部、2009年頃ころから
後退している気がする
  
何の専門家でもない  遺族当事者でもない
   人が
 補助金や寄付金・助成金で 
給金をもらい
自死の専門家のような肩書で講演して講演料も頂き
   そこに勤務する人たちの給金を支払い
 
すごいです…すばらしい活動です・・・
    なんてことを言われ
ちやほやされ
 
・・・・・・・

 自死は減らない

  減った時は 自分の手柄のように公言し
  増えた時は
     社会のせいにして 補助金を増やしていく

ビジネスマンとしては 優秀な人たちが
たくさんいる日本の自死の対策の世界

  自死遺族の人たちとの出会いが増えていく日々
  命日が増えていく毎日
  365日が命日
そんな 日々をおくり 活動をしている

自死の対策をビジネスとしている人たちは
   毎日 60人以上の人たちが自死している事を
感じていない

鈍感な人たちだから 自死のビジネスマンとして優秀でいられる

繊細な人たちはビジネスにはできない