父の命日

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 明日13日は 昨年4月に起きたいじめ自死事案の調査委員会

    15日はみやぎの萩ネットワークの例会
      セミナーの講師が決まらず 急遽 自分がすることに
         司法書士の一人が 手をあげてくれて  2人で2時間

16日は 野田正彰先生の講演会
   発達障害と精神薬

   17日は いじめ自死の再調査委員会
  一般公開

    20日 ・21日・22日・23日・24日・26日・28日と 日程は詰まっている

   宮城県の条例作成への意見書の作成
   国が作る自死遺族支援の指針作りへの意見

     3月も・・・つまっている201110-IMGP3483_m.jpg


   今日は
    育ててくれた父の命日
    2月12日
     猛吹雪だったが  今日もすごい雪

     3月3日は祖父の命日

    年を重ねると カレンダーが 命日でうまる

     9月6日が父 19日が母

    11月16日が息子で 17日が育ての母

夫の父8月13日 母10日

  祖母は・・・10月・・あれ?何日?

     夫の兄・・ 古くからの知人

叔父・叔母・・・

  ガンで逝った  遺族の人の命日も・・・

    家族は増えるもの というのは 錯覚
   減っていくこともある

   年を重ねるという事は
    死別が多くなる事

      悲しみなんて  学ばなくても
        十分

 物心がついたときから
   隣のおじさん となりのおばあさん
    従妹
      担任教師の子供
  本当に多くの人たちと 死別してきた

    通夜も葬儀も たくさん 参列
 遺体も見てきた
   それなりに  たくさん

だから 悲しみとは!なんて 誰かに教えてもらわなくていい
 記憶に残っているだけでも
    本当にたくさんの 人との死という別hasunohana411[1]
れがある

悲しい気持ちは
   普通のこと
人間だから   悲しい事も抱えながら
   相手に合わせて笑うこともある

 笑っているから  悲しみがないわけではない

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 悲しみを 抱きしめながら
  今日は書類の作成を~
明日は委員会に~

   私を愛してくれた父
  母 そして息子
   今も 愛を感じる
私も 父や母を愛し 息子を愛している

          活動は命ある限り続ける

    育ててくれた父母への恩返しと
      息子への罪滅ぼし

     
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法話の会  参加します

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12月2日(土曜日) 浄土宗布教師から法話を聞き、その後、法要の中で、皆さまでお念仏をお称えし、亡き人のご回向ををする集い を開催いたします。
大切なご家族様を亡くされた方なら、どなたでも参加いただけます(病死、事故死、突然死、自死、災害での死、交通事故、過労死、犯罪死等)。
信仰や宗派等は問いません。

日 程 12月2日(土曜日)
    14時00分~(受付は13時30分より)
会 場 浄土宗 八幡山 雲天寺
    302-0109
    茨城県守谷市本町358番地
    0297-48-0565
参加費 無料

*ご回向される方のお名前、没年月日、年齢、法名など、書ける範囲でお書き頂きますので、ご準備下さい。
*法要終了後、新書院にて茶話会も行います。

皆さまのご参加お待ちしております

法話の会の会場~奈良から尼崎に変更です


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10月の法話の会の会場が変更になりました

10月28日 浄土宗布教師による遺族むけの法話をきくつどい 開催のお知らせ


【緊急】開催会場が変更になりました
10月28日(土曜日)兵庫県尼崎市 成道山 「法輪寺」 にて


浄土宗布教師による遺族むけの法話をきくつどい

を開催します



10月28日(土曜日)
成道山 「法輪寺」
兵庫県尼崎市武庫之荘4-4-10
阪急神戸線 「武庫之荘駅」 徒歩9分
14時30分 受付開始

15時00分~17時00分

法話と茶話会

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 阿弥陀様の教えは  愛する人との別れは苦しみであり悲しみである
              昔から かなしいという言葉は愛しいと書いて表してきた
               愛するということを消せないようにかなしみもまた消せない
        その人自身が亡き人を愛している気持ちは何人たりとも消してはいけない
      阿弥陀様は かなしみは消えないがかなしみを抱えたまま・・どのように生きて行ったらいいのか
          その教えを説いている
  その教えを伝えるのが宗教者・僧侶である
     その教えを伝えて頂き、遺族がどのようにその教えを受け止め、悲しみと向き合うのか、それはその人自身である
    グリーフケアとは真逆の教えである
       臨床宗教師というものがブームのようですが
     日々の暮らしが僧侶は臨床である・・・あえて臨床宗教師という資格を取る意味は何もない

   阿弥陀様の教え、お釈迦様の教え、法然さまの教えを真剣に深く学ぼうとしたら
  一生かかっても学びきれないものです

     心は深さで表すように 誰にも見えない 誰も図ることはできない
      心に寄り添うというが その人の深い心にはよりそえない
           一人ひとり それぞれに 深い心を持っているのですから・・・

  その人以外にはその人の かなしみも見えない わからない
      深いものですから・・・
その人自身も見えない深さがあるかもしれません

  というお話でした

   どこにいても 必ず阿弥陀様は救いとり
   極楽浄土に連れていってくださります
        どこにいても 亡くなった後は必ず極楽浄土で一緒になりますよ・・・

    そんなお話・・・

   僧侶が「おばけ」があると肯定し、マスコミでいうことや
  シンポジュウムで講演することも
      僧侶としての仕事が満足にできないということ
       葬儀の否定・・仏経の否定
      極楽浄土に 阿弥陀様が連れて行っていないということ
      本願の否定になります・・・


     お念仏を唱えること
 南無阿弥陀仏と唱える意味
        それと
  お化けと幽霊
   成仏できていない話と往生の話

 たくさんお話させていただきました

 奈良県葛城市の「西光院」さんでの法話の会でも
     たくさんお話を聞かせて頂きました

     次回は12月・・・尼崎市行きたいと思っています・・

息子に許されて元気に生きている。



シラヒゲソウ[1]
幸せってなんだろう

   子供が死んでから 幸せという文字に嫌悪感を覚えるようになった
  楽しいとか幸せという言葉に
    心が反応する 時には吐き気が・・・
        ザワザワ・・・ゾクゾク寒気がする

   楽しみです・・・と手紙にも書かない・・書けない
        幸せです・・・という言葉は もっと書けない

      家族が死んでも 幸せと楽しいを普通に使える遺族がいる
        子供が死んでも ・・・
最近、そんな人たちの記事が新聞に掲載されていたのを読んだ

        私の幸せは子供が生きていればこそのこと。
    健一が自死して
       母親の私が どうやって幸せになるというのでしょう
           私が幸せになるには 健一が生き返るしかない

       身体の一部となった悲しみは もう取り除けない
                生き返らないから・・・

       次男はこういう「俺が結婚して 子供が産まれたとしても
            お兄ちゃんが生きていたころのような幸せにはならない」と。

     健康でいることが幸せ・・・と定義なら健康な私は 幸せというのでしょうか
  でも 健康も100パーセントの幸せではない
      心の空いた穴は大きい
       心に悲しみをどっしりと抱えたままで 健康だから 幸せ・・・というのは
             深い底なし沼のような悲しみを抱えている私には 残酷すぎる
        幸せになれないし なりたくないし なってはいけない
            と  思って生きている
    生きている事さえ 罪悪感があるので・・・
        美味しいものを食べたから幸せとは思わない
     美味しいものを食べても
   美味しいとは思うが 
    息子が生きていたころのように心底美味しいとは思わない
        美味しいものを食べても  必ずこころに深い悲しみがあることを感じている
  息子は死んでいるのに
   美味しいものを食べている自分が許せない
       許せないが美味しいと思う自分がいて罪悪感に苛まれる
         
      健康なことも美味しいものが食べられることも
         死んだ息子の許されて・・許してもらってのこと

  24時間(寝ているときも  夢でも 悲しみがある)
     心が晴れることはない
 快晴にはならない
        少しの晴れ間が見えるだけ

      でも 暗い日々を送ってはいない
     笑顔で明るく元気・・・
 明るく元気で笑顔でも 心には常に悲しみはある

     こういうふうに書くと  ネガティブな人生と思う人もいるようですが
       明るく元気で 飛び回って活動をしています

    国や県・市町村や多くの団体
       その他専門家との連携…講演や原稿書き…
           たくさんの会の開催          
       まだまだ やることがあります
         やらなければならないことが山のようにあります

 息子を死なせた親として  
        明るく元気に
              幸せでない人生で送りつづける
              幸せは感じないけど 元気だけはいっぱい 
   生きています