
グリーフケアを信じて疑わず
遺族の悲しみにはグリーフケア
ガン患者にもグリーフケア
終末医療の現場にもグリーフケア
と
唱えている人たちがいる
新興宗教の布教を聞いているようで・・・・うんざり
その人たちも 自分の愛する家族が突然 逝ったら
自分が唱えていたグリーフケアがどんなに空しいものか わかる
その人たちの愛する子供が 突然逝っても
グリーフケアは素晴らしいといえるなら
グリーフケアは癒しの効果があり
悲しみが和らぐなら 信じよう
余命宣告されたその人が
家族が グリーフケアで痛みが緩和され
苦しみも悲しみも 軽くなったなら
信じよう
私の周りのグリーフケアを活動にしている人たちは
全員 とても幸せ (見た目)
家族がいて
仕事もあって
お金もそれなりにあって
優雅なランチも楽しみ
高そうなお洋服も着て
一人っ子を愛して
家族を愛して
それなりの社会的地位もあって
私が知っているグリーフケアの6人ほどの人たちは
この活動は 自分の人生を豊かにするためだと 公言している
自分以外の 他者の死別の悲しみを ケアすることに 喜びを感じている人たちを私は信じない
自分の愛する子供 が逝っても
グリーフケアを施す活動に喜びや人生の豊かさを感じたら 信じよう
もし
本当に自分の子供が死んでも
グリーフケアを活動としていることに人生の豊かさを感じ
喜びを感じるなら
その人は 人間ではない
獣以下
動物でも 死骸から離れず 悲しみの所作を見せる
ある時、余命宣告された妻をみとった人に
死別よりも 余命宣告された人のほうが グリーフケアが必要なんじゃない?といった
その人は子供もなくしていた
その人曰く
病院に入院していたら よけい要らない
退院しても 必要はない
家族の時間を大切にしていたい
一分一秒が 大事な大切な時間
痛みに耐えているとき
苦しみに耐えているとき
「ありがとうございました」という言葉をいうことすら つらい
しんどい
もうろうとしている意識の中
人に気を遣うことは 負担であって
妻の好きなように
求めるままに 横になったり うとうとしたり
痛みを取ってもらったり
旅行したり 温泉いったり
好物を食べたり飲んだり
望む人と会ったり
そこに 気を遣う 他人に いろいろ 言われても
頭に入らない
静かな時間が壊れてしまう
もちろん 死別の時もいらない
悲しみは消えないし 乗り越えられない
抱えて生きていくしかない
折り合いをつけ ごまかし だましだまし
悲しみとともに生きていくしかない
自分以外の人が 自分の悲しみをどうにかできるわけがない
だからこそ
同じ思いの人たちと
わかちあう 時間が必要なんです
と
とても ゆっくりと話してくれた
悲しみを知らない人たち
苦しみと悲しみと痛みを 知らない人たちが
当事者の声を無視し
自己満足のグリーフケアを信仰して
ドヤ顔をしているのをみると
吐き気がしてくる
そして 人の悲しみに 何とか悲嘆とか
もっともらしく 名称をつけて
悲しみの専門家のように講演したり
本をだしているけど
うんざり
その人たちから グリーフケアを学ぼうとする
お坊さんたちがいることに なおさら 吐き気がする
仏教には グリーフケアという考えではなく
亡き人とともに生きる という 考えがあるのに
また
そもそも お坊さんも含めて
宗教者は グリーフケアという考えで
自分が癒し人になるのではなく
かみさまの使い人
仏さまの使い人であって
自分が神や仏を超え癒すという考えは
もはや 宗教者ではない
癒されてもいないのに
「ありがとうございました」「心が軽くなりました」と
大人の社交辞令を言われ
満足している人たち
グリーフケアを信じ切っている人たちのほうが
もしかしたら
心にブラックホールのような空白をもって
どんな幸せでも満たされないが
人の不幸や悲しや苦しみを見ることで 空白が埋められるのかもしれない
歪んだ善意 歪んだ愛
そしてグリーフケアが 商売になっていることが多く
多くは
無償ではない
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