いじめと体罰と嘘

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昨日は 宮城県議会議員たちといじめで子供を亡くしたお父さんたちとの話合い
  簡単な要望書も提出
6月の議会に向けて・・・

3人目の犠牲者が出ても尚隠ぺい体質は変わらず
  12日の市会議員の委員会で教育委員会が配布した資料には
   8回もの{SOS]が記載されていた
      そのうち半分は保護者には連絡もしていない
   いじめた子供たちへの保護者にも全く報告していないことが判明

そして昨日  教師2名が体罰を加えていた

  頻繁に頭をたたいたり  ガムテープで口をふさいで授業を受けさせたリ・・

     どんなに苦しかったかと思うと  胸がつまりそうで 痛くて
         中学生が3人死んでも  大人たちは対面ばかりを気にして
    なんとか
       子どものせい・・・にして  なんとか親のせいにしようと必死

     何人の子供たちが死ねば 反省してくれるのだろうか

       殺人者だと言っているのではない
          力不足と 間違いを認め いじめや体罰を認め 反省し
いじめはしない
いじめない
いじめは悪いことだと教え 
いじめのない学校作りを目指すことを亡くなった子供に誓ってほしい
   申し訳なかったと 亡き子供に謝罪してほしい
遺族が求めているのはそれだけ

難しいことだろうか

    いじめていいのだろうか

 注意をすることと  怒ることは違う
    怒ってしまった時はフォローが必要

   教師が子どもたちを差別し   いじめている

   それを見ている子供たちは この子の事はいじめてもいいんだと思い込む

    今回 体罰の事を告発した 子どもとその保護者の勇気と良心に感謝です

  ずっと毎日 クラスメートから集団でいじめられ
     教師からもいじめられ
   肩を怪我したり
   手首を骨折したり
  ズボンを下げられたリ

それでも 親には心配かけないように毎日学校に行っていた


    つらかったろうなぁ

3人の遺族と協力して 仙台市・宮城県から 子どもの自死は出さないように
      頑張らなければ・・と・・・

今年は息子の13回忌
      初心に戻り 頑張りたいと・・・

    
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いじめ自死で亡くなった子供を個性的という言葉で侮辱している教師たち(仙台市)

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仙台で3人目のいじめ自死
    どうしても なんとしても なにをしても 動かない仙台市の教育機関

   いじめに対して 全く無知な教育機関

  というより  関心がない

     のんきになんとかなると思っている場合ではなくなった

    遺族とつながり  バタバタと動き

 ブログに向かい時間がなかった

    今日はこれから 東京

      日本いのちの電話の斎藤先生と会う

 1万4千件のいじめのほとんどは自分で解決している
    ~~~
    遠回しに 教育長は言っている

    自死する子供は 弱い・・・特殊だ・・と

    市議会議員の委員会でも 教育関係者は同じことを言っていた

     時々 建前で  言葉が見つかりません とか
                 なくなった子供さんをお悔やみもうしあげます・・とかいうけど

  全体的な言葉・・・答弁は

   個性的な子供・・・個性的な子供・・・と

    子供の個性に問題があったと言っている

     個性的だから 個性のない正常な子供が正しいと思い込んでいる

  からかいであっていじめではない・・と

     個性的な子供だから  からかいをいじめだと訴えていた・・と

  ケガを2度もして
      いじめられてると 泣いて訴えても
個性的な子供が勘違いしている・・と

   偏見と差別です 個性に対して・・・

      教育者たちが 子供の個性を個性としてとらえることができない現実

      個性のない正常な子供ってなんでしょうか

 個性のない正常な子供たちが  けがをさせて 集団でいじめているのに

     いじめが正常な子供のすることでしょうか

  先生たちの感覚がずれている気がします

           

年を重ねると悲しみも増えて行く

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お世話になった人が亡くなった

お別れ会に行こうと思う

  年を重ねると 親しい人との別れが多くなっていく

 長男の死は 胸に今も鉛を抱えているように 重たい悲しみとなって存在している
  心が快晴になることはない
笑っても 心の底が重たい
  笑いながら 胸の奥にある悲しみを感じている

   深い悲しみの穴もある

    時々 落っこちる

月日が 悲しみの落とし穴の場所を教えてくれる
  それでも
思いがけないところに 穴があったり 地雷がある

  落ちないように気を付けていたら 地雷を踏んだりする
  地雷を踏まないようにしていると  穴に落ちたり

   悲しみはいたるところに潜んでいる

      親も6人逝った
 
祖父母も・・・いとこも
   友人も 級友も 親戚の親しい人も
お世話になった人も

数多くの死という別れを体験してきた

   物心ついたときから数えたら  何十人・・いや百人・・二百人・・?

   悲しみなんて 勉強しなくても  生きているだけで悲しみがある

  親しい人との別れのない人生を送っている人っているのだろうか

   祖父母や両親との死別の体験はある程度年を重ねたら 
       ある・・と思う
  それでも

 悲しみを 本で学ぶ人たちって  理解できない

    どんなに学んでも 対岸の火事 

    机上論
         体験に勝るものはない

    体験した人は 悲しみは癒せないことを知っている
   体験した人は 悲しみは消せないことを知っている
      体験した人は 悲しみは愛だと知っている

     シドニーの自死遺族支援の会議では グリーフという言葉は聞いたけど

  グリーフケアという言葉は聞かなかった

  グリーフは ケアと結び付けていない

        悲しみは小さくならない  とも言っていた

    遺族の悲しみの考えを
   そのままに 受け入れているのが 国際的な考え方のようです

     支援者たちが 遺族の悲しみをケアしようとしていないのが 楽だった

     無理せずに ありのままで 語れる雰囲気がある

  日本の自死遺族の支援者と自負している人たちは

       どこか 上から目線を感じる

       そうでない人もいるが 少数

   私は悲しみを学ばなくてもいい
  教えてもらわなくていい

     身体の芯まで悲しみに染まっていますから

        でも 元気です!cid_6C797095-AF56-4B7E-AA99-6E456D904C26.jpg



 

子どもはずっと生きていると思っていた



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2012年11月のブログ

(2017年の今も変わらず同じ気持ちのままです)

息子を亡くした悲しみをずっと抱えて生きている・・・

一見明るく元気一杯・・・

しかし・・お兄ちゃんが亡くなってから、こころはいつも悲しみで満杯

  でも生きて行くために、こころのどこかにある小さな笑顔を、
最大限に膨らませて、満面の笑みを人には見せる

時には大げさかな・・・と思うくらい笑うこともある・・・


健一は笑顔の私が好きだったから・・・


   なぜここにあの子がいないのか・・・いまも悲しく切ない・・・

涙は枯れない・・・今もとめどなく溢れてくる


   毎日・毎日・涙が出ない日はない・・・


悲しいね・・・どうして死んでしまったのだろう

  想い出は悲しみ

悲しみは愛しさ

   

何にもしなくていいから・・・生きていて欲しかった・・・


     生きていてくれるだけで・・幸せだった


   あの日から私の幸せは消えた


いのちって・・・芽生えて育んで・・・愛しんで・・・

   大切に大切にして・・・

消えるときはあっけなく・・・


  ずっとあの子は生きているものだと信じていた・・・

コメントへのお返事

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時間が経てば経つほど、前向き遺族と、そうではない遺族との差や温度差を感じる。
というコメントへのお返事

 人の悲しみは一人ひとり 違って当たり前です
   比べないこと
悲しみは 自分と亡くなった人の間に起こる感情
 向き合いかたもひとそれぞれ

どのような集いに参加されたのかはわかりませんが
   「悲しみもまた私のもの」誰のものでもない私だけのもの
 「悲しみは愛しさと共に」
   愛しているから悲しい  深い悲しみは深く愛している証
   
愛と悲しみはイコールである

  そんな考えを自助グループ当事者の会では広めています

 月日が過ぎていくと  笑えるようにもなります
   心の底からではない‥のですが・・・

    悲しみからの逃げ方が上手になっていきます

   温度の差が具体的にどのような事かわからないので
   何とも答えようがないのですが・・・

私自身は 子供を亡くしてから半年で活動をしてきました
   でも前向きには生きていません
      前向きって何?どんなこと?と思ってしまいます
11年過ぎて 見た目は普通に元気です
  が いつも悲しみを抱えています
 突然 涙があふれてきます 今も・・・
     幸せとかハッピーとかルンルン気分とか
         嫌いです

年賀状なんて 子どもが亡くなってから一度も出していません
  家族全員 出しません

 おめでたくないから・・・

子どもが死んで 正月なんて  なにがおめでたいのかわからない
  正月の飾りもしません

正月元旦はお墓参りです毎年

     「(死んだことによって)息子が自分だけのものになって誰にも奪われない。良かったね」という親は自分勝手な人です
        子どもが死んで良かったなんていう親は人でなしです 親ではない
     どこにいても生きていてくれたらいい…それが親です

      死んで 自分のところに戻るよりも
  生きていてくれたら どこにいてもいい  ただただ生きていてくれるだけでいい
     それが親ですよ

   心のケアセンターを勧められたのは「カウンセリング」を受けて
  それでも悲しい気持ちが消えないなら
精神科の治療を受けなさい・・という意味だと思います

  心のケアセンターに行って悲しい話をして・・何をしてくれると思いますか
     ただ傾聴だけ

   人の悲しい話を聞きたくないけど
  自分の悲しい話は聞いてもらいたいと思う人は カウンセリングがいいと思いますが・・・

前向きという言葉や乗り越えるという言葉は嫌いです
   乗り越えられませんから・・・

自分の悲しみは 自分だけのものです
 そして 悲しみは病気ではないので 薬は必要ありません
   親は子供の死を抱えて生きて行くしかないと思います

子どものことを思い 涙を流すことも親だからです
   ずっと思い出して 悲しむことも親だからです
自分が元気でいないと
   ずっと思い出してあげられません

    一日も長く生きて わが子を思い 涙を流すことも親です
  自分が死んだら子供を思い出す人はいなくなってしまいます

 悲しくても苦しくても
    親ですから・・・大切に大事に悲しみも苦しみも子供への愛だと・・・

  親は無償の愛を・・
 悲しみもまた 愛ではないでしょうか