いのちとお金

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人のいのちは 金では買えない

 息子が生き返るなら  すべてを投げ出して差し出したい
   このいのちも 息子が生き返るためなら 迷うことなくささげたい

   子供が死んで 1億円100億円 もらっても うれしくない
     何の意味もない
 
   貧乏しても 朝から晩まで 働いてもいい
     息子のいのちがあったらいい

     80歳になっても 90歳になっても  働いて
        食うに困っても お兄ちゃんが生きていたらいい
みんなで働く・・・
   
     息子の命と引き換えのお金があっても
             幸せになれない

 金では幸せは得られない

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          こんな事を話してくれた若い人がいた(わかちあいではない)

 借金のあった自分の母親が 父親の自死で入った保険金で借金を返し
   残りのお金で 旅行三昧  海外にも・・・
  嘆いていた
  父親がかわいそうだ・・・と
    母親を許せない・・と

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  実の母が亡くなった時
     一人娘の私に来るはずの遺産が・・・
いつの間にか
  母の養女になっていた(亡くなる1か月前)母の兄嫁の妹が 生前に 預金解約
     定期預金解約 株券売却
総資産2億円
   一円も 相続しなかった

   遺品も一つも一人娘であるはずの私はもらっていない

   法定相続人である請求をしなかったあえて・・・

      私が働いたお金ではないし、母の意思で私に遺さなかったのだろうからと解釈
         
    13回忌の時に

   母名義の土地が(名義変更を忘れたのだと思う)会社名義の土地のど真ん中にあって
   会社が傾いたとき 売却のために 養女から私に弁護士を通して
      印鑑が欲しいと言ってきた
13回忌の時に
   養女と半分の金額が 唯一母からの相続となった

   人のいのちが失われて手に入れる お金はうれしくない
  かなしいだけ・・・
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実の母の時も 息子の時も
    お金のことで 嫌な気持ちになった
  
   心底悲しんでいない人たち
泣いていながら お金を数えている人たち

    私は苦手     卑しくはなりたくない

決して裕福ではないが
    悲しみの裏で 思わずほくそ笑む自分にはなりたくない
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弥陀の本願・・・信じたい





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自死者は浮かばれない
 自死者には戒名は付けない
自戒という文字を戒名の下につける
 自死なんだから葬儀は小さく内々で・・
自死者は300万円出さなければ院号はつけない
 自死者は暗闇で苦しんで当然
  自死者は親不孝もの
自死者は極楽に行けない

我が家の菩提寺のお坊さんは いつも阿弥陀様が・・・と言ってくれます
しかし
貴方の息子さんは極楽浄土に行けないと直接私に言った二人の僧侶
 震災で亡くなった人も突然すぎて 往生していない
   地縛霊になっている
一度にたくさん亡くなったんだから お化けや幽霊が出てもおかしくない
    幽霊とお化けのシンポジュウムを開く教授と大学と宗教者

原爆で亡くなった人たちも 幽霊でさまよっている
   とまで 言い切った僧侶  
 あれから法話を聞き 本も読み ネットで検索をして学んでいます

その一つ


釈尊と弥陀の本願

釈尊の先生である阿弥陀仏は、十方衆生(すべての人)は、

五逆罪、謗法罪を造っている極悪人、とみぬいて、そういう者

を必ず助ける、という本願を建てられています。

蓮如上人の御文章には、次のように書かれています。

それ、十悪・五逆の罪人も、五障三従の女人も、むなしくみな

十方三世の諸仏の悲願にもれて、すてはてられたるわれらご と

きの凡夫なり。しかればここに弥陀如来と申すは、三世十方の

諸仏の本師本仏なれば、久遠実成の古仏として、いまのごとき

の諸仏にすてられたる末代不善の凡夫、五障・三従の女人をば、

にかぎ りてわれひとりたすけんといふ超世の大願をおこして

我々の罪悪があまりに重く、十方諸仏は、とても助けることが

できない、と匙をなげられました。十方諸仏の本師本仏である

阿弥陀仏だけが、「われ一人たすけん」と、立ち上がり、本願

を立ててくださった.



苦しいときは・・・毒もはけない

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    生きている人で 

死んだ人はいいよ・・・

 生きている苦しみのほうが 辛い という人がいる

         うつ病の苦しみを死んだ人はわからない  と
             遺族も うつ病の自分よりは苦しくない・・・と

        正しい治療を受けていない人だと思う
     facebookにコメントできるってすごい・・・
        そもそも ひどいうつ病だとしたら
facebookをみることもできなくなるだろうし
    人の書いたものを見てコメントもできないと思う

       生きている人に 死んだ人の苦しみがわかるはずがない

       息子が逝き
 3週間くらいで 12~13キロやせた悲しみと苦しみ
  食べてはいけないと思い  食べない
     寝てはいけないと思った・・・
葬儀もできないほど興奮し 失神しては起き 倒れては起き上がり
   でも葬儀の準備はしなければならず        
        睡眠薬を飲み
       それでも「寝ない」という自分の意思が薬よりも勝ち
      暴れる
        暴れて叫んで 疲れて「バタン」と寝る
    1~2時間で起きる
      睡眠薬の頓服を飲み・・・暴れ 疲れて「バタン」   

   水を飲むことも 許されないとおもった
     でも
  トイレには行く
      トイレに行くことも罪悪だった

           死のうと思った・…が死ねなかった

       私の苦しみ悲しみは 息子よりは楽なのだ
           息子は苦しんで悲しんで逝った
  あれほど生きたいと・・死にたくない・・・と  小さい頃から言ってた息子が・・・
     泣いて泣いて泣いて・・・逝った

        死んだ方が 楽  だなんて
        生きている人の傲慢
    
     犯罪の一番重い罪は死刑
    死を持って償うのである
        生きている方が死ぬよりも苦しいなら
            死刑はなんのためにあるのか

       うつ病が 自死よりも楽なら
            死刑ではなく  
                     精神薬を飲ませて うつ病にする刑を与えたらいい

          うつ病は治る病気
     治らないのは医師の責任

     一生うつ病でいるということは
      精神医療の怠慢
          
           うつ病が治らない病気なら 難病に指定したらいい

        普通の医師に治療してもらうと治る
   精神科医には普通の治療ができる医師が少ない    

       死んだほうがマシ  という言葉は

    遺族への配慮も 自死者へのやさしさも 何にもない

    毒を吐けるのはうつ病ではない

   

裁判では証拠にならず 統計では認められる・・遺書

totiba_ninjin[1]

未遂した人の言葉というのがネットに載っていた
 しかも 海外の人たち

 自死した人の気持ちがこれでわかる・・・ということのようだ

   自死した人と 未遂した人では180度違う
     自死した人は死んでしまった
      未遂した人は生きている

    全く違う

 人間 は  死にたい・・・とか死んだ方がまし  とか よく言う

   自死者の8~9割は一度の決行で死んでいる
   残りの1~2割が 未遂者の自死

    遺書だって  追い込まれたことについてはあまり触れていない
      
      遺書に実名で追い込んだ人のことを書いても 証拠にならない
        なのに なぜ 遺書を証拠として
           原因の統計を公開するのだろう
       
  遺書が証拠となるなら 裁判でも証拠として認めるべきではないか

     未遂者の言葉を 自死者の代弁として捉えるのは大きな間違いである

         自死した本人が死の間際に書いた遺書でさえも
               裁判では原因として認められないのだから

          死にたい・と思うことは 生きていれば何度もある
             そんな思いと本当に死ぬことは別もの

         私は息子が逝って 死のうと思ったが死ねなかった
      だから
     二度と 死にたいとは言わない
          死ぬほど苦しいとも言わない

    死んだ息子に失礼だから・・・
        息子は一度で逝った
      というよりも  失敗してもすぐに繰り返して 逝った

   私の苦しみは そんな覚悟のない苦しみ
     それほど追い込まれていない
          だから生きている

  生きるしかないと 息子に懺悔した時から
     自分の生き方を変えた
    息子が生きていたころのような生き方をするのは 息子に申し訳ない
        煩悩を少なくしよう  
          欲望はなくしよう・・・
       そんな思いで生きている

     でも  イラつき 怒り 許せないことも多い
   
     その都度 反省し 戒め 
           息子を思う  息子の顔を思う 声を思う
               しぐさを思う
   
  遺族である私は
      未遂者と自死した人の気持ちを同じだとする人たちの言葉は傷つく
 誰にもわかるわけがない  息子が死んだ理由
   
  想像するしかない息子の気持ち
            
     なぜ世間はこうも 遺族の気持ちを 切り刻むようなことを
        偉そうに自慢げに もっともらしくいうのだろう
      
  遺族の声は聞かずに  遺書も参考にもせず
      ・・・
      死んだ人の言葉も 遺された人の言葉も
           届けても届けても無視して 
 どうして関係のない人たちの言葉に納得するのだろう

     未遂者と自死者は180度違います
         

会いたいなぁ~

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  昨夜

  テレビを見ていた夫が
「おがに会いたいね」
 「いつ行っても 笑顔で迎えてくれたおがに・・・あいたいね」と

  おが  とは   津軽弁で「ばぁちゃん」と「おふくろ」の間のような言葉

    私を育ててくれた母

    やさしく  おおらかな・・・

     いい母だった

        母が亡くなった時の葬儀の時

        母への弔辞を読んだ

          尊敬する母だった

     文字も読めないし書けないけど

   人として 親として
           私は尊敬している

       子供を亡くしている母
           心底やさしかった
  強くたくましく・…やさしかった


  夫は自分の両親よりも
     私の両親を慕っていた
                      手放しでこどもをかわいがり
           大きな気持ちで 私たちの事を愛してくれた

    亡くなった息子のことも・・・生きている次男のことも

      会いたいなぁ~おがに

   という言葉に  涙があふれて止まらなかった

     おがが元気なころ  健一も生きていて
     しあわせだったなぁ~~~って

          そうあのころが一番幸せだった

     もう二度と あのころには戻れない

        会いたいなぁ~~~

    おがにも おどにも

 けんいちにも