
自助グループを広げてきた事で誤解をされることが多い
それは 支援者グループを否定していると思われている事
そして
遺族以外の悲しみを認めていないように思われている事
そうではないのです
当時・・今もですが
支援者グループはたくさんあります
今から12年前は公開しての自助グループは皆無でした
クローズな集いが一つ…不定期なクローズな集いが一つ
クローズでしかも わかちあいだけで
一切の他の活動はしない・・という会です
過労自死というくくりでは 過労死家族の会がありましたが
そこはわかちあいの会ではなく 裁判等の活動の会
自死遺族が純粋に自分達だけで悲しみや苦しみを話す集いは
遺族になったばかりでは 探すことが困難でした
そこで 自死遺族の自助グループ本人の会のたちあげをしました
それが2006年
その当時は 遺族が公開して主催して会をするなんて
とんでもない事!だということで
国も県も市町村も ボランティア団体も どこも誰も認めず
批判の嵐 誹謗中傷だらけ
差別されさげすまれ
叩かれ踏まれ・・・裏切られ・・・
死を考えるほど追い込まれたものです
自死遺族だけでの「わかちあい」の時間が欲しかっただけなのに・・です
そしてかなしいだけではなく「生きて行く」ために
「総合支援」が必要と思い
法的な専門家を含め 行政や社会福祉士の方々のつながりを求めて
お願いし続けました
差別ではなく 区別し ゆるやかにつながりあう事が
必要であり大切だと思ったからです
それが遺族支援・・遺族が元気に生きて行くために必要だと感じたからです
保健師やボランティアが主催の会はそれなりにありました当時も・・・
でも それでは参加できない遺族がいる
だから
自助グループを立ち上げた・・・だけ
誰にも語れない死
自死だと言えない遺族
世間に知られたら 差別偏見の目で見られる
誰にも言えない
病気だ事故だと嘘をいいながら 生きている遺族
・・・・だからこそ 自死だという事を話せる場所が必要でした
一つもない自助グループ
そこから広げてきた・・・だけです
支援者は最初から元気で幸せです
会の立ち上げも簡単でしょう
行政の支援も受けて・・・
新聞等マスコミの取材も可能でしょう
でも 遺族はそもそも悲しみを抱えながらの立ち上げです
顔も名前も公開して取材なんて・・・ハードルは高いです
そんな中で 遺族たちは頑張って自分たちの集える場所を作ってきました
支援者の会は全国に200か所あるという事です
国の調査です
全国47都道府県全部にあります
一つの県に10か所の支援の会が存在するところもあります
東京都などは 行政も含めて、ボランティア団体や病院・教会・僧侶も含めて支援者団体は
30は超えると思われます
その中で東京の自助グループは2か所だけです
だからこそ
多くの遺族が参加しています
私は遺族の自助グループを広げてきました
それはわかちあいの時間は・・・というよりも
わかちあいというものは 当事者本人たちだけでないと無理だとおもったからです
そう考えたら
恋人を自死で亡くした自助グループ
友人知人を自死で亡くした自助グループ
そこには
親族は入れない・・・という会があってもいいのです
兄弟姉妹の自助グループもあります
子供を自死で亡くした自助グループもあります
親を亡くした自助グループもあります
他者を入れない・・・のが自助グループですから。
恋人を自死で亡くした気持ちは 子供を亡くした私にはわかりません
知人友人の気持ちもわかりません
お互いにお互いの悲しみは分かり合えないのだという事を理解し認め合うこと・・
が 大切ではないでしょうか
遺族が立ち上げた会が他者は入れない・・というなら
それを認め
自分たちの居場所は自分たちで作ったらいいだけです
遺族も必死で 作ってきたのですから・・・
多様性を認め合い ゆるやかにつながりあえばいいだけです
それらを選ぶのは遺族であり 当事者です
恋人の会も友人の会もあったらいいと思います
誰でもが参加できるシンポジュウムや講演会・フォーラムや
サロンや研修会・懇親会もあります
わかちあいは同じ苦しみ・同じ悲しみ・・
同じ体験をした人たち・・・
耳の聞こえない人たち・・・
ガンの患者同士
難病の会・・など 自助グループはあくまでも同じ・・・体験
分かり合えない人たちに混ざってもわかちあえませんから・・・
お互いのためにも
くくりは大切にして
参加できる集いや会合に
参加することが お互いのためにいいのではないでしょうか
支援者とも一緒にやれることはたくさんありますから。