自死への差別と偏見払拭のためにも自助グループが広がって欲しい

resize0222.jpg

 自死遺族の自助グループが全国各地にある

 それぞれの地域で 自死遺族本人たちが 同じ思いをしている遺族だけでの集いを開催

   自死遺族は 病気とか事故とかと同じように
      自分で死んだんです・・・とは言えない   遺族が多い

   多くの場合は 病気で・・とか
        事故で・・とか
                  親戚にも言う遺族が多い

    それはなぜか

        それは 悪いことをしたかのような イメージがあるから

     家族の恥  親族の恥
      
   なんの根拠もない こと

   最後は自分で死んだ

    しかし 死にたくないともがき苦しみ 絶望感に苛まれて
      死ぬしかない・・と 思い込んでしまった
  
  思い込ませたものは何だったのだろうか

       本来 人間の本能は死にたくない  これが最も強い本能

    死という恐怖すら超えてしまうほど追い込んだもの

    多種多様な問題がそこには存在する

    だからこそ
国は
   誰もが追い込まれない社会を目指すと 自殺総合対策大綱に掲げている

    自死のその多くは 社会的要因によって追い込まれた末の死であると明言している

   社会的要因の中に

   亡くなった本人・・そして遺族も入るだろう

 しかし それだけではない

     それが社会的要因という意味である


  だが

    自死した人たちを 蔑む風土が日本にはある

      アジアは多いようだ

      この間 台湾の自死の対策に関わる人達との話の中で

     驚いた事は

 台湾では 自死で亡くなった家を「凶宅」と表現するという

    占いの盛んな国は 自死への差別と偏見が根深い感じがする

     縁起が悪い・・という意味なのだと思う

     死は縁起が悪いとされている国
       神の信仰の国が 死を忌み嫌う風潮にある気がする


    自死への差別と偏見は そのまま自死遺族にのしかかる

    そして 多くの支援者たちは
  自死遺族を特異な目で見ている

    他の遺族の支援は国が推進していないのに
自死遺族の支援だけが 国が推進している

  そこには自死遺族は特殊だという意味合いもあると支援者たちは思っている

   死にたくて死んだ 変な人たちではない

    遺族も変な遺族ではない

 ただ
   日本には自死への偏見と差別があり
     自死でしたと語ろうものなら

      珍しいものでも見るような罪人でもみるような 視線が注がれる・・・かもしれない

    という 恐怖心が遺族にはある

 だから

   普段の生活で 自死を語れない

   

   1か月に一度でも 1年に一度でも

     遺族が集い  遺族だけで語れる場所が必要だと思っている

そこには
 支援者は必要ない

 支援者は
 法的な問題  宗教的問題

    生活の問題  等々  専門家として支援をしてほしいと思っている

 心の専門家は その人自身
 その人の心の専門家は その人

悲しみもまた同じ

   遺族の悲しみの専門家 という 支援者なんていない


     自助グループが広がって欲しいと

 願い続けて
    13年目になりました・・・    
スポンサーサイト

自助グループへの誤解

20120718174431.jpg

自助グループを広げてきた事で誤解をされることが多い

それは 支援者グループを否定していると思われている事
そして
 遺族以外の悲しみを認めていないように思われている事

   そうではないのです

当時・・今もですが
  支援者グループはたくさんあります

今から12年前は公開しての自助グループは皆無でした
  クローズな集いが一つ…不定期なクローズな集いが一つ

クローズでしかも わかちあいだけで
   一切の他の活動はしない・・という会です

  過労自死というくくりでは 過労死家族の会がありましたが
     そこはわかちあいの会ではなく 裁判等の活動の会

 自死遺族が純粋に自分達だけで悲しみや苦しみを話す集いは
  遺族になったばかりでは 探すことが困難でした

   そこで 自死遺族の自助グループ本人の会のたちあげをしました

それが2006年
   その当時は 遺族が公開して主催して会をするなんて
とんでもない事!だということで
    国も県も市町村も ボランティア団体も どこも誰も認めず
      批判の嵐  誹謗中傷だらけ
  差別されさげすまれ
      叩かれ踏まれ・・・裏切られ・・・
死を考えるほど追い込まれたものです

    自死遺族だけでの「わかちあい」の時間が欲しかっただけなのに・・です

そしてかなしいだけではなく「生きて行く」ために
「総合支援」が必要と思い
   法的な専門家を含め 行政や社会福祉士の方々のつながりを求めて
      お願いし続けました
  
差別ではなく 区別し  ゆるやかにつながりあう事が
  必要であり大切だと思ったからです

  それが遺族支援・・遺族が元気に生きて行くために必要だと感じたからです

 保健師やボランティアが主催の会はそれなりにありました当時も・・・

  でも それでは参加できない遺族がいる
だから
 自助グループを立ち上げた・・・だけ

   誰にも語れない死
     自死だと言えない遺族
世間に知られたら 差別偏見の目で見られる
    誰にも言えない
    病気だ事故だと嘘をいいながら 生きている遺族

・・・・だからこそ 自死だという事を話せる場所が必要でした

    一つもない自助グループ
  そこから広げてきた・・・だけです

   支援者は最初から元気で幸せです
  会の立ち上げも簡単でしょう
    行政の支援も受けて・・・
  新聞等マスコミの取材も可能でしょう

 でも  遺族はそもそも悲しみを抱えながらの立ち上げです
 顔も名前も公開して取材なんて・・・ハードルは高いです

そんな中で  遺族たちは頑張って自分たちの集える場所を作ってきました

  支援者の会は全国に200か所あるという事です
  国の調査です
全国47都道府県全部にあります
一つの県に10か所の支援の会が存在するところもあります

   東京都などは 行政も含めて、ボランティア団体や病院・教会・僧侶も含めて支援者団体は
     30は超えると思われます

 その中で東京の自助グループは2か所だけです
だからこそ
  多くの遺族が参加しています

 私は遺族の自助グループを広げてきました
それはわかちあいの時間は・・・というよりも
  わかちあいというものは  当事者本人たちだけでないと無理だとおもったからです
 
そう考えたら
 恋人を自死で亡くした自助グループ
   友人知人を自死で亡くした自助グループ
そこには
親族は入れない・・・という会があってもいいのです

 兄弟姉妹の自助グループもあります
 子供を自死で亡くした自助グループもあります
  親を亡くした自助グループもあります

他者を入れない・・・のが自助グループですから。


恋人を自死で亡くした気持ちは 子供を亡くした私にはわかりません

知人友人の気持ちもわかりません

   お互いにお互いの悲しみは分かり合えないのだという事を理解し認め合うこと・・

    が 大切ではないでしょうか

遺族が立ち上げた会が他者は入れない・・というなら
 それを認め
自分たちの居場所は自分たちで作ったらいいだけです

   遺族も必死で 作ってきたのですから・・・

多様性を認め合い  ゆるやかにつながりあえばいいだけです

   それらを選ぶのは遺族であり 当事者です

 恋人の会も友人の会もあったらいいと思います

  誰でもが参加できるシンポジュウムや講演会・フォーラムや
  サロンや研修会・懇親会もあります

   わかちあいは同じ苦しみ・同じ悲しみ・・
同じ体験をした人たち・・・

耳の聞こえない人たち・・・
  ガンの患者同士
  難病の会・・など  自助グループはあくまでも同じ・・・体験
   
   分かり合えない人たちに混ざってもわかちあえませんから・・・

   お互いのためにも
        くくりは大切にして
参加できる集いや会合に
 参加することが お互いのためにいいのではないでしょうか

  支援者とも一緒にやれることはたくさんありますから。

 気張らないこと

kozakura021[1]

 わかちあいの場所で悩んだ時 こんなことを話し合ったときがある

場所はどこでもいい
「カラオケルーム」でもいい
       ファミリーレストランでもいい    と

   自分が急に参加できないと気、会場を開ける人がいないとき・・・

遺族が来たから・・・・・・・行政に鍵を開けてほしい…なんて思わないほうがいい

     できる限りのことは自分たちでする…というのが自助グループの基本
       
   中止になったことを知らずに来た遺族のことを
     そこまで思わなくていい
   会場まで来た遺族だから・…大丈夫です・…ひとりで帰るから・・・
        そして  休会になった意味を知ったら 許してくれるから

 それが大人です

    同じ遺族が病気になっても家族が死んでも  会を開催するべきだとは言わないはず

       もしもそんなことを言う遺族なら   

                人間性を疑う

      何が何でも  地震が起きても  開催する・・・なんて思うと

         しんどい・・…開催する方もですが  参加する方も・・・

   気張って開催する雰囲気が伝わってしまうから

    気張らず・・・・・ふんわりと  さりげなく  

            わかちあいだけに拘らず   なんでもいいんですよ

      お茶会でも  サロンでも

法話の会でも

    ランチ会でも   ミニ遠足でも

         講演会でも     旅行でも

    その人が元気になればそれでいいんです


     人間は  考えすぎても  いい考えは浮かびません

       思い描いたようにならなかったから自死遺族になったんですから

         自死遺族になると思っていた人はいないはずですから

  「 内村鑑三」の本でも読んで、自分の内面と向き合う時間でも作った方が

         会の開催をあれこれ悩むよりもいいと思う

言葉の意味  自助

F1000253.jpg

自助   他人の力をあてにしないで自分自身の力だけを頼りにすること


  自助グループ   

当事者本人以外の人がスタッフや主催でも・・・自助という・・という考えがあるが

   漢字の意味を無視しています

自助がいいと言っているのではないんです

自助が正しいと言ってるのではないんです


自助は自助  ゆるやかもあいまいもない・・・・

   ハッキリときちんと明確に  まわりからもわかるような説明が大切です

  普通に自助だと信じて参加したら

     他者がいた・・・・・

  参加者は騙された・・とおもい  傷つきます

 参加する遺族の気持ち最優先で考えるべきです


    スタッフも主催者も遺族でなくても自助というなら

  自助グループと支援者グループという名称すら必要がないことになります

  なぜ自助グループや支援者グループボランティアグループ、専門グループと

    わけて名称があるのか
              分けるべき理由があるから

言葉の意味は大切です

    わかちあう
 
同じ悲しみ 同じ苦しみ
      同じ悩み


  同じ喜び


同じ・・・・・・・が  大切

    この美味しさを分かち合おう・・・・

この 感激を分かち合おう・・・・

     そこには 何があるか

共通の思い…同じ思い


   同じように美味しいと思えなければ分かち合えない

    辛いのが大好きな人と 辛いのが苦手な人では

  辛さのおいしさは分かち合えない

  片方は天国のようなおいしさを感じ

  もう片方は 地獄のようなまずさを感じる

      その二人は 辛さでは分かち合えない

     分かち合うとはそんなことかな。。。と思う

 悲しみのわかちあい

  悲しくない人が  どのように同じ悲しみになれるのか

    子供を亡くしていない人が
   どのように子供を亡くした悲しみを体感できるのか

    できない

 できなくてあたりまえ

    できないことを責めてるのではない

 悲しみがわからないのに  わかっている・・というから 「え!」となる

    わからなくてあたりまえ

     わからないんですが・・・・という姿勢が大切

  悲しみの支援を   他者がするというのは大変なこと

    同じ悲しみを持つ者同士のほうが簡単

  他者という支援者が 悲しみを聞いて・・・・・・・どうするのか

  どんなことができるのか

      それは  支援者として求められた場合のみ 有効となる

   求められていないのに  支援者になろうとそばによると
            拒絶される

     求められる支援者とは・・・・・・

        人格・品格・人柄そのものが支援者には求められる

    常に自分自身を高める気持ち  反省の気持ち 謙虚な気持ち

        厳しく難しい・・・と 私は思う

   しかし
 安易に  支援者になろうとする人が多い

    物質の支援は簡単

   心の支援は   自分への試練である・・・

   悲しみの支援は

  話し合いには入らず

     側面支援がやさしく簡単で傷つけない

    場所の提供   広報の手伝い

      寄付金集め・・・・ お茶の提供  片付け

     そして 求められた専門的支援

   

今日は子供を亡くした親の集い「つむぎの会」仙台

F1000023.jpg

子どもを亡くした親の会

「つむぎの会」仙台 今日は「わかちあい」の日

少し少なめで16人の参加

   桃生町のガーベラ農家さんから いつものように「ガーベラ」が 届き


      感謝


  気仙沼「つむぎの会」
石巻「つむぎの会」
 仙台「つむぎの会」
岩沼「灯里の会」

   4カ所に 毎月送ってくれている ガーベラ農家の素敵な女性

     感謝感謝  感謝です



   言葉にならないほどのありがとう  


     京都のお寺さんからも ずっとお菓子が送られてくる


    スイスからもチョコレートが届けられる


   そして、変わらずご寄付を続けてくれる人もいる


    お地蔵さんや、天使・・・数珠

     本当に様々なたくさんのご支援をいただいて

        会を開催してきました


 どれほど  多くの方々に支えられて 活動ができているのかと思うと


    亡き人たちの恥じないような


     亡き人たちをガッカリさせないような


   生き方をしなければ…申し訳ないとおもう


    順番に恩送りをしていけたら…と願う