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今日は自死遺族の自助グループの分かち合い「藍の会」

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今日は2006年から開催している自死遺族の当事者だけでのわかちあいの会「藍の会」の開催日
仙台駅前(西口)
パルコとなりのビル 「アエル」28階 エルソーラ仙台(男女共同参画施設)
  14時から~18時
途中参加・途中退席OK

遺族の悲しみや苦しみはひとり一人違う
 でも
自死という死で愛する人を亡くしたという同じ思いはある
 同じ思いをしている遺族がいるという事で、自分だけではないという感覚が孤立を防ぐ

  わかちあいに参加できないという遺族もいる
   そんな時は 遺族同士をつなぐ
活動をしている人も
活動をしていない遺族も
          1年に数人 自分と近い立場の遺族とつながり 話を聞く事ならできる・・・と
      日にちの浅い遺族の支えになってつながってくれる遺族たちがいる
     それが 自助グループ
全国自死遺族連絡会の活動の一つでもある
   支援者や行政が主催だと  それはできない
  というよりは しない

 無報酬   気持ち  こころ  自主的活動  
何も求めない活動だから
     亡き人からの悲しい縁を 大切にと思う


OIP (9)

自死者の6割以上は 精神薬を飲んでいる人たち
 芸能人の自死は9割以上が精神薬を飲んでいた人たち

覚せい剤などの薬物依存の芸能人の多くも 最初は向精神薬

 心中や無差別殺人なども 向精神薬を飲んでいる人たちが多い

後追いも同じ

発作的に死へと誘われる
 衝動的に 殺すという気持ちだけにとらわれていく

  長野の犯人も うつ病・・・・との報道もある
うつ病の人は
  殺人を犯す気力もないのだが
向精神薬の副作用で
   被害妄想が悪化
       理性が奪われ
殺すという事にこだわりが強まったのではないだろうか・・と思った

  それが自分の向くと 自死に至る

 自己肯定感が下がっていく副作用もあるのが向精神薬の怖さ

   情報が氾濫する社会で生きるという事は
情報が正しいのかどうかを判断できる能力がないと 金儲けに利用されていくだけ

  安易に金儲けはできないし、
簡単に
  悲しみから解放される方法もない



OIP (4)


 社会・世間という無責任な 同調圧力にを 気にせず
   自分と家族を大切に…と思う

困っても世間は助けてくれない
  苦しくても世間は救ってくれない

   そんな無責任な世間の評価を気にせず
  自分を持って生きて欲しい

遺族には 凛と生きて欲しいと思う

  自死した人たちのためにも  毅然と生きて欲しい

悲しみとともに・・・


悲しみもまた 愛する人への気持ちなのだから

   悲しみも愛しいもの・・・亡き人への思い
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悲しみは病気ではない

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悲しみは病気ではない!
 何度も書いている
  いつも言っている
     愛する人が亡くなって  「悲しい」のは 病気ではない

  診療所クリニックも含めて医師に診てもらうのは 病気だから。
病気ではないなら医師に診てもらう必要はない

   愛しい人が亡くなり悲しい気持ちがわくのは
    人間として普通の感情
 
1日中 24時間涙が出ているわけではない
      が
笑えない・・・
  普通の事
    愛する人が亡くなって
  以前と変わらず 楽しくて仕方がない・・・としたら
       そのほうが病気

   通夜と葬儀だけ 悲しんで 後はニコニコしていたら
    精神科に行った方がいいよ・・と 誰も言わないのだろうか

  悲しくないよ・・苦しくもない・・・普通・・・

 周りに愛想笑いでもして  悲しいという言葉も言わないでいたら
    安心して
     心療内科を勧めないのだろうか

   精神科の先生に聞きたい
あなたの子どもが死んでも 
   通夜と葬儀が終わったら  悲しみがなくなりますか?

 精神科や心療内科を 勧める親族は多い
   周りも勧める
遺族自身も 行く人が多い

  なぜ?

心療内科に行き 何をしてほしいのでしょうか?
 どうなると思っていくのでしょう

 悲しい気持ちが 軽くなると思うのでしょうか?

愛している気持ちが消えない限り 悲しみは消えません
  
人が亡くなっても
  愛する人でない人の死は そんなに悲しくないと思います

嫌いな人の死なんて・・・どこかホッとしたりします
(残酷ですが)

 心療内科や精神科ってどんな病気をどのように治療してくれる場所なのか

ほとんどの人は
あまり想像したこともなく
なんとなく 漠然と 悲しい・苦しい・・悩みがある・・・精神科に行けばいいんじゃない‥程度の認識だと思う

 つらい・苦しい・寂しい・楽しくない・・憂鬱・・・涙が突然出る
     希望が持てない
     むなしい  
脱力感・気力がなくなる
    まぁ~普通だよね

押しつぶされそうなときは 誰かに話を聞いてもらう
  書く
      ひとりごとを言う
叫ぶ 泣く
   瞑想をする

1人で暴れてみる  お経をひたすら唱える

本を読む
      自分なりに思う事を 我慢せず やってみる

精神薬を飲むよりはいい

著名な精神科医が 薬を飲むよりは  酒でも飲んだほうがまだマシ
  同じ思いをしている人と話すのがいい
と アドバイスしてくれています

愛する人が亡くなって
  精神科の診療所クリニックに通う必要はない

  パニック症状や意識を失うような症状がでたり
   身体に痛みが出た時には
診療所クリニックで薬の処方をしてもらい
  緩和させる
          
絶対に飲むな!とは言わないが
  長期間飲むものではない

 身体的症状の緩和に必要なだけ
    気持ちは
  ごまかしながら  折り合いを付けて行くだけ

   周りの皆さん
長い目でみてください

 焦らせないでください

    悲しみを抱えて 生きていけますから・・・

太古より 人は悲しみを抱えて生きてきたのですから・・・

 悲しみを悲しみと感じられる感性を持つ人間のほうが  より人間らしい人間だと思います。

眠れない夜に思う事

OIP (1)
眠れない夜もある
 2005年に息子が逝き 今年は2023年
    18年
   今も眠れない時がある
心がざわつくときもある
空しくなる時も・・・
    さみしくて かなしくて・・・
  胸に痛みが走る・・・
     苦しくて涙があふれることは今でもある

もちろん
2005年当時とは違い
  毎日泣くことはない
   でも
あの日から 青い空を見ても 心の底からきれいだと感じなくなっている
 深く 感動することがない

   どこか さめている
     かなしすぎて 自然の美しさにも 息子が生きていたような感動がわかない
 きれいだとは思う
  空も青く きれいだ・・とは感じる・・が
 息子がいた時の様な
  無邪気に心の底から きれいだ・・と感動はしない

  美味しい食べ物も  18年前よりは 美味しく感じられるようにはなった
  でも 
息子が生きていた頃のように
    100パーセント 美味しいと感じない

いつも  どんな時も 息子の死が離れない
    ピッタリとくっつき  私の体の一部と化している

   私が死んだら 私の中の息子も存在しなくなる
      生きていてこそ
  息子が私の中で生きている

   自死遺族との関わりをずっと続けてきた
       数えきれないほど多くの遺族の声を聞いてきた

     「わかちあい」に参加する遺族もいる
  電話だけの人
メールだけの人  手紙だけの人もいる
   法的相談だけの人

 また 通夜と葬儀までのつながりの人もいる

 遺体の発見されない 遺族になれない遺族もいる

   いろんな人たちがいろんな対策?をしている
   国も・・
でも 
若者の自死は減らない
     当然だと思う
  減るような対策はしていないのだから・・・
むしろ
追い込んでいる気がする

自死という事を理解していない人たちが納得するような対策ばかりが目立つ
   パフォーマンスだけ
  対策をやってますというアピールだけ

それを すごい!と世間は認めているだけ

   言葉による暴力が自死に追い込む要因

  いじめ・・・パワハラ・・・
     子供も  若者も  言葉によって追い込まれていく
自己肯定感が低いから…自死に至るといわれるが
     自己肯定感を低くしたのは 他者からの言葉
 
小さい頃から
 得意なことを誉められず
    うまくできない事を指摘される
 
立てば歩めのおや心というけど

 寝て起きたら 早く着替えて
着替えていると  早く顔をあらって・・・
  顔を洗っていると 早く食べて
食べていると
早く学校へ・・・という

学校も同じ
   算数が得意でも 国語が苦手だと
  得意な算数は適当にほめて
    苦手な国語を責める
なんで できないの・・・他の人は出来ているのに・・・

   遅刻しないで欠席もしないで学校に来ているのに
 そこは無視
    落ち着きがない  服装が・・忘れ物が・・・

とにかくうるさい
 大人たちみんなが 子供に対して 注文が多い
 
いい幼稚園  いい小学校 いい中学校 いい高校 いい大学
いい仕事  

 いい大学!仕事って何!

   他者の目ばかり気にして  自分の人生を謳歌できない日本

     自死の多い国 日本
夢を持てない国

   戦争で死んだ人たちの 思いを  私たちは大切にしてきたのだろうか

   若者が笑顔で生きられる社会になってほしい

  私たち団塊の世代は
   間違った生き方をしてきたのかもしれない

眠れない時は
  いろんなことを考えてしまう

 息子は真面目だった
 正義感あふれる ・・警察官
面白い人でもあった
  友人もたくさんいたのに・・・

どうして いないのかな・・・

「わかちあい」と自助グループ

R (3)


 自助グループ
いろんな自助グループがある

息子を自死で亡くしたので
   私は自死遺族の自助グループを広めてきた
子供を亡くした自助グループも作っている

 自助グループを広めているが
    支援者グループを否定はしていない

医師がいる会がいいと思う遺族もいると思う
  遺族だけの自助グループは不安だと思う遺族もいると思う

   支援して欲しい  ケアして欲しい と思う遺族は 自助グループは合わない

自立している遺族が求める場所が自助グループ

     相互扶助 が自助グループの基本

   そして「総合支援」を目的としているのが自助グループ

 遺族同士のつながりも 自己責任の上でつながるのは自由

     会は責任を負うものではない

   だからこそ  支援者の会のように規制はしない

    支援者の会は 遺族同士のつながりを禁止している会があるが
       その理由はあいまい

また、会に参加していない時間まで 禁じる事はできない
  普段の生活まで介入する権利は会にはない・・・それをしたら人権侵害である

 いろんな会があり  どれを選ぶのかはひとり一人の遺族

       誰も禁止はできない

自由に選ぶ権利がある

  私は「わかちあい」は当時者の間でだけできると思っている

  遺族の気持ちは遺族とわかちあう
遺族でない人とわかちあうことはできない


   野球の嫌いな人と ○○チームの優勝とか、○○選手の活躍という野球の話題でわかちあうことが出来ない
   それと同じ

想像の悲しみと 実体験の悲しみとは別物

   どんなに共感力が強くても 想像は想像でしかない

 対岸の火事  産みの痛みは産んだ人にしかわからないのと同じ

  想像の痛みと 実際の痛みは別のもの
それが
いいとか悪いとかいう事ではない
  現実がそうだというだけの事

  想像だけでいいから 共感して欲しいと思う人は支援者の会が合う

  多少の温度差はあっても  体験している当事者と会いたいと思うなら自助グループ

悲しみを治療して欲しいと思う人は 医師のいる会が合うのだと思う

  自助グループのほうが たぶん  ゆるやか
     かしこまらない 自由な雰囲気が漂う気がする

   自助グループを運営する遺族は 支援者になってはいけない

     上から目線になってはいけない

        相互扶助なのですから

    だから  私も聞き役だけにはならない
   私も話す 自分の息子の事も・・・聞いてもらう

   会の後片付けも みんなで行う

     お客さんにならない  お客さんにしない  それが自助グループ

  泣いてもいい  怒ってもいい  笑う事もある

    そして 卒業もある

  手伝いをしてくれる遺族もいる

  同窓会のように  数年ぶりで参加する遺族もいる

     来るもの拒まず 去る者追わず

    いつでも自由に  参加したい時間だけ参加する
       自助グループはそんな雰囲気であることが必要

そして  その日参加した遺族の中で 悲しみの深い人に
     たくさん話してもらう

 日にちの浅い人 や 初めての参加の人

    もちろん  みんなが話せる時間を持てるように する事が 代表の役目

   だから8人になったら  半分の4人4人の2グループに分ける

    1グループ 多くて7人が限界

 自助グループは自助グループの配慮がある
規則もある

しかし 規則を規則と意識させないような配慮も必要

   自助グループを運営する人は 他の自助グループに参加してみることも必要
     いろんな会に参加してみると 
自分の会が客観的に見えてくる

     自助グループの定義などは 自助グループを運営する遺族は知ってほしい
 最低限 定義はしっかりと学んでほしいと思う

   自助グループだと信じて参加した 遺族を裏切らないためにも・・・

自死遺族を追い込んでいる社会の仕組みの是正を目標に・・・

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毎日、遺族の相談を受けて17年
  数えきれないほど多くの遺族の声を聞いてきた

いろんな人がいる
  遺族とはこんな人たちという概念は捨てたほうがいい
 と思う
  その人が歩んで来た人生と同じように 一人一人違う
  悲しみという感情でさえ
     表現の仕方も 受け止め方も  一人一人違う

ひとくくりにはできない
   ただ
  自分の価値観と似た・・近い遺族はいる
自助グループに参加しようと思う人は その価値観は同じなのだと思う

  自助グループも様々
    主催者や参加する人たちによって雰囲気は変わる

  せめて 主催者が同じ信念を持ち続けることが
     参加者によって変わる雰囲気も 気にならない程度で済む

   私自身 活動の原点は 長男の自死
    彼の死に顔が原点
 冷たかったからだが原点

   遺体に触れた時の・・見た時の・・
  あの時の気持ちが原点

  決して 忘れることはない

   年月は 笑う事もできるようにしてくれる
      遺族ではない幸せな人よりも 元気に見えるように生きられるようにもなる

   人は見かけでは計り知れない心がある
      自分でさえ
 思いがけない自分の気持ちと接する時もある
     私って こんな気持ちを持つことがあるんだ・・と

こんな一面もあるんだなぁ・・・と 74才になっても発見がある

 国や県・市町村が考えていた自死遺族支援の内容に異議をとなえてきた
   遺族を追い込むような仕組みを放置して
     傷つける事を前提として
        悲しい気持だけのケアをしますというのは やめてくださいと。

 具体的にこのようなことは やめてください
  こういうことは やめてください

ひとつひとつ  要望をしてきました
関係する各省庁に。

 また警察の生活安全課にも・・・
公安委員会にも・・・

新聞社や 地方自治体にも

  それを 上回る勢いで
    権力と金を使い
 遺族を追い込む仕組みは加速している

   目的は 自分たちの自己満足のため

遺族のためにも…自死した人のためでもない
  自分たちの
 自己顕示欲の満足のために・・・

息子が逝き
  ずっと 自死遺族の問題だけを活動としてきた

  18年

残りの人生の時間も
  自死遺族の問題を・・・と思っているが
   
次世代に引き継がなければ  目標は達成できない

    邪魔が多すぎて   遅々として改善できない

    悪化している内容もある

なんとか 道筋をつけたい・・・