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誰もが精神科医のような日本の社会

R (2)
自死遺族のための活動が主
 全国自死遺族連絡会と自死遺族という事を団体名にしている
  が
 遺族以外の相談も数多く受けている

自死遺族という事を団体名にしているのにもかかわらず
  遺族以外の人からの相談も多くあるという事は
   その人たちは どこに相談してもどうにもならなかったという事なのかな…と思う

 そのほとんどが精神薬の相談
   精神薬の害を啓発している本はたくさん出るようになった
    でも・・でも
 いざ 減薬をしたい 断薬をしたいと思った患者が
    どうしたらいいのか・・・何をしたらいいのか
誰がその相談にのってくれるのか
    減薬をしてはみたが 禁断症状に苦しんでいるとか・・

また 家族がやめさせたいけど  どうしたらいいのかわからない・・・とか
   精神薬は飲ませたくないけど
     どうしたら問題が解決するのかわからない・・・とか

そんな相談が多い
  

 そもそも
 国民全員が 精神科医のようになっていることが怖い

 私は不安障害だと思う
   私はうつ病だと思う
この子は発達障害だと思う
この子は統合失調症に違いない

 ネットに出ている 統合失調症の症状に半分当てはまるから・・・
   
病名は医師だけがつけられる
  どんなにネットの情報に詳しくても 診断は医師免許のない人がしてはいけない
  親がこの子は統合失調症に違いない‥と決めつけて
 子供にあなたは統合失調症だと思うから
  精神科に行きましょうと言ってはいけない

 この子は 発達障害だから 精神科に連れて行かなきゃいけない
 この子は発達障害だと思うから
 病院で診て貰ってください
 などと
言ってはいけない

忘れ物が多いなら
  幼稚園から 小学生から  親が子供が忘れ物をしたのかどうか
                      見守りながら育てたのか
    反省して欲しい

子どもは育てたように育つ

小さい時は犬のしつけと同じ
繰り返し 何度も何度も 焦らず 教えていく

   無垢な何も知らない幼子は
 親を見て育つ
  ガミガミ言うのが親ではない

親は親として 子供に育ててもらう
   子供は子供として親は親として、お互いに成長する

子どもを否定するのは自分を否定するのと同じ
  子供を発達障害だと思うのではなく
 どうしてこの子は動き回るのだろう
  教室で動き回るのだろう
叫ぶのだろう・・・
と 考えて 話あってほしい

きのくに子どもの村の教育という本を読んでほしい
○○先生と呼ばれない
○○さんかニックネームで呼ぶ
学園長の堀先生は 子どもたちからほりさんと呼ばれている
  いじめはほとんどない
あれば
全校集会で話し合って子どもたちが主体になって解決する

堀先生と食事をしたとき
こんなエピソードを話してくれた

ほりさんはあの子をえこひいきしてると思う ダメだと思う
と 子供に言われた時がある
そのときのほりさんの返しがすばらしい
「どうしてえこひいきがダメなの?」「いいと思うけどな僕は」と答えたという
そこから
子どもたちとほりさんとで 意見の交換がはじまっていったという
 子どもたちに何でえこひいきがダメなのかを考えさせるという教育

理由もなくえこひいきがダメではなく
子どもなりに理由を考え
  だからえこひいきがダメなんだと納得していく・・という教育

多くの日本の教育の場ではありえない教育方針だが
先進国の多くはこの教育方針だという

自分で考える力を養う教育
    与えられるだけの教育ではない
 与えられる教育では
   進歩しない
 教師よりも 前に進んでいけない
   教授よりも 進化しない

親がダメだと言えばダメ 親が教師が医師が発達障害だといえば 発達障害だと思う思考になっていく子ども

 疑問をもつことが大切なのに
   与えられたことに従うだけの思考になって行く

みんな同じって変
  
精神薬は幸福になる薬ではない
  万能薬でもない
精神薬は
  問題を解決するクスリではない

  精神薬を飲んで 勉強ができるようにはならない
  精神薬を飲んで
友達は増えない

 ここ数カ月前から毎日数回電話をかけてくる男性がいる
  苦しいんです・・・・
  みんながアホバカというんです
    バカにされているんです
   ・・・・の繰り返し
 電波が飛んでくるんです・・
夜中も朝方も
 昼も夜も関係がない
電話をかけたくなったら
どこでもかけているらしい

   50代のようだ
  40年近く精神薬を飲んでいるらしい
一度も働いたことがない
   40年精神薬を飲んで  働けず 苦しみ 昼夜関係なく電話をかけている人
なんのために
クスリを飲んできたのだろうか
    
医師も何のために精神薬を処方しているのだろうか
   
 本人も家族も周りも 幸せになっていない
幸せなのは
精神科医と 製薬会社だけ

 10代の時に精神薬を飲ませた医師が悪ですが
   家族も本人も
自分で考えずに
   言われるがままに 精神薬を飲んだ結果の
 苦しみの人生

 この精神薬を  なぜ飲むのか・・・
なぜ飲む必要があるのか・・・
 考えないと
   製薬会社と医師だけを幸せにするために
自分の人生を
捨てる事になってしまう

と  様々な相談を受けて思う
    
   
  全国自死遺族連絡会という自死遺族の団体なのに
  精神薬の相談を
   数多く受けているなんて
  何かが違う気がする
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長男の命日と母の命日

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息子の命日と母の命日
11月16日は長男の命日
 11月17日が育ててくれた養母の命日
養子縁組をしていたので
 戸籍上親子
    高齢になるということは 親族も含めて命日が増えていくことにもなる
 父3人母3人の命日
祖父母の命日  叔父叔母の命日
  夫の兄2人の命日
    兄の妻の命日
         お世話になった親戚の人たちの命日
  100人は超える
  多くの死別の別れがあった

遺族との死別の別れもある
18年活動の中で
    4000人以上の遺族との出会いがあった
  何度も会った遺族が病気で亡くなっていく事もある
電話でお話をした遺族との死別もある
    お花をおくらせていただくこともある

 長く生きるという事は
   出会いも多いが 死別もたくさん経験する

そして 自分もこの世との別れをしていくことになる

 その日まで できる事をせいいっぱいやろうと思っている
 
実現できないことも多いが
  次世代に引き継ぎをしていく事も 活動

遺族とのご縁が増えていく日々
   大切に…と思っている
亡き人からのご縁だから・・・

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 今週
    歯科医院に久しぶりに行ったら 女医さんに
   以前と同じでお薬何も飲んでないのね・・・
    どこの病院にも通ってないの・・・
       健康ですね・・・と言われた
 そうなんですよ先生
  歯だけが悪いんです…ずっと‥と言ったら 笑ってました。

そうなんです
   歯以外は 健康なんです
  歯科医にはお世話になっている・・・

   まだまだ やりたいことがたくさんある
    元気で活動を続けて行きたいと思っている

息子が逝って 19年目になった・・・

ひとりごと

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息子が自死した2005年から
   自死という問題だけを考え生きてきた
寝ても覚めても
 自死という問題だけ・・・
       18年間の自死問題の歴史を見てきた
       自死の問題に関わっている人たちの中では 知られていると自負している
 
自死遺族当事者本人が活動することを想定していなかった人たちがほとんどであった
   18年前
支援者からの支援を受けたり 支援者が中心の中に遺族がスタッフとしていたり・・・という団体はあったが
 遺族が遺族だけで
遺族が中心の活動団体はなかった
 からこそ
ものすごい批判を受けた
     蔑まれもした
  行政も含めて支援者たちからの信頼がなかった
完全に下に見られていた
同等ではなかった

自死の予防は精神科医が中心である必要はない
 最後のセーフティネットとして
    精神科医療が必要だが それも 今の日本の精神科医療のレベルでは 
   救えるいのちも救えていないのが現状

社会の仕組みを是正しないと ・・・人を追い込む社会を変えないと
そこが最も大事

 これまでの日本の自死の対策は
   人を追い込む社会的要因は放置し
    見てみないふりをして
追い込まれた人が 悩み苦しみを抱えたら 相談してくださいという対策

 まずは追い込まないようにしなければ  永遠に追い込まれる人は減らない

いじめを受けて 悩み苦しんでいる人に
   相談してください‥という対策がほとんど
いじめをしている人たちへの
アプローチはしない
いじめは放置
   いじめる人は いじめた人が死んだり、転校や退職をしても別な人を見つけては次々といじめる
  いじめている人を・・・パワハラをする人を
     改心させないとエンドレスでいじめやパワハラが続く

いじめないように・・・パワハラをしないように…という対策はゼロ!
 だからパワハラも減らない いじめも減らない
自死も減らない

誰が満足しているのか・・・支援者たちだけ・・・
支援団体だけ・・・

支援団体は 相談が増えて増えて大変なんです・・・補助金をください助成金をください
    相談を受ける人を増やさないと  受けられないんです・・・
 と叫ぶだけ
 減らそうという活動はしない
 根本的な是正に誰も手をつけようとしない

 支援団体だけが  潤う自死の対策
貧困対策も同じ
    普通の発達の子どもを 発達障害だと決めつけ
 支援施設がパンク…施設を増やす・・またパンク・・また施設を増やす・・・

 子供の貧困なんて騒いでるけど
   大人の貧困です
  
大人の貧困というと 社会が悪くみられるから
   子供の貧困ということで 騒ぎ立て
      子供の支援という 日本人が大好きな貧しい子供たちを助けるという発想で美談にしていくだけの対策
 
自死の問題を深く見ていると
  この国が嫌いになってしまいそう
絶望しか感じなくなる
空しく カナシイだけ
     
でも
亡くなった息子に褒めてほしいから
    1人でも…と思い活動をしている

ダウンロード (1)

岡先生・・・早く本を出してください!
自死遺族を取り巻く   社会が少しだけ 変わると思います

自死という死の心理的瑕疵扱いについて

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なぜ「心理的瑕疵」を認めるべきではないのか

1) 学説からみると
京都大学法科大学院 学長 横山美夏教授
「不慮の死であれ自殺であれ、個人がそれぞれの生を生き抜いた結果としての死につき、特定の態様の死に対する嫌悪を裁判所が正当とすることは、それぞれの生が等しく価値を有するとする、
個人の尊重(憲法12条・13条)ないし個人の尊厳(民法2条・憲法24条)に違反しないのかという疑問が生じる」、
「民法2条により、民法の解釈にあたっては、
生の終着点である死はその態様いかんにかかわらず等価値に扱われるべきであり、
また、不必要な死は極力回避されなければならないが、生じてしまった死それ自体を否定的に評価すべきではないと言える・・・」自殺の事実にに対する消極的評価を前提として、
通常一般人が「住み心地野の良さ」を欠くと感じる時は自殺の事実が瑕疵となるとする裁判例は
、民法2条の趣旨に反する。同条の趣旨からすれば、たとえ通常一般人がそのように感じるとしても、
まさに規範的な意味でその合理性が否定されるべきではないか」と述べている。
(個人の尊厳と社会通念―事故物件に関する売主の瑕疵担保責任を素材として)
 「『法律時報』85巻5号 13年5月」
*********
そもそも瑕疵とは一般的に物理的な瑕疵を意味し、これを心理的なものにまで拡張するべきではないという説が昔からあります
我妻栄氏「債権各論・中巻1」288頁、
広中敏雄氏「債権各論講義」71頁

***********
心理的瑕疵という考えでの事故物件という扱い
心理的瑕疵は自死あるいは死や穢れに対する偏見や迷信に由来するものであり、自死を差別的に取り扱う要因にもなります。自死に対するこうした否定的な評価は日本特有の偏見であり、欧米ではそのような取り扱いはなされていない。

今週土曜日富山に行きます

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今週は富山に行く
 研修会 富山商工会議所の会議室で行う
「自死と向き合い、遺族と友の歩む」という
厚労省の補助金事業で作成した手引き本を配布し 執筆者が講演
11月4日(土)13時30分~
参加費は無料

徳島県に自助グループ本人の会が立ち上がる
 1月に第1回開催予定
「あいの会」

   ひとつずつ 一か所ずつ  
継続できるようにサポートしたいと思っている

  自助グループは仕事ではない
 気持ちだけでの活動だからこそ 継続が課題

 簡単に設立できるが
   簡単に閉会もできる
                    仕事ではないから・・・
ある意味で無責任な気持でもできる

    運営する遺族の気持ち次第

 自助グループは
      
 医療や心理の専門家ではない私たちにできる事は
   わかちあうこと と 支えあうこと
カウンセリングやケアはできませんが
 一緒に歩くことなら できます

大切な人を失うことに伴う
たくさんの困りごとを抱え込んでいませんか
 金銭トラブル 医療機関のこと
   労災申請など

悩みを直接解決することはできませんが
 一緒に整理する事ならできます
それぞれの問題を専門とする人たちに
 つなげる事ならできます