楽しい学校生活が・・・苦痛になるのはなぜ・・・

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児童生徒が自死

   調査委員会が立ち上がるケースが増えた

 親である遺族は学校に何を求めるのか・・・

     子どもは楽しく小学校に通い 家でも楽しく学校生活を語っていた
        中学に行き・・・あんなに楽しかったはずの学校に行くことが苦痛になって行き、
          徐々に学校での笑顔が消えて・・死んだ

   彼にとってそれまでは学校は楽しい場所だった
                                  
   楽しい学校生活が苦痛になった原因はなんだろうか

      友達に会える 学べる 部活ができる
        楽しかった学校

     学校に行きたい
         でも 苦痛・・・
     なぜ苦痛になったのだろうか

      小学1年からずっと苦痛で嫌々学校に行っていたのではない

       中学のあのクラスに入る前は 学校に行くことが楽しく幸せだった

    そんな子が  どうして何があったのだろうか

  何もなければ  今も楽しく学校に行っていた

      なぜ 楽しかった学校が死ぬほどの苦痛に変わったのか
       学校で何があったのか

        それを知りたい

       と 訴えたらいいと思う   

    そして
      調査委員会の冒頭に遺族の望みを訴える時間を設置してもらうべきであり
         遺族は傍聴の権利を主張するべきです

    泣き寝入りをしないこと
   やるなら 穏やかに強かに・・・権利を主張
   ・・中途半端に学校に温情を感じることはない


子供は 学校に行きたかった

    楽しかった

   学校生活がどうして 死ぬほど苦痛な場所となったのだろうか

       もともとは 楽しかった学校

     学校行きたい でもつらい
       つらいけど 行きたい

      希望を捨てず 少しでも居場所があるかもしれないと頑張って学校行き
         また苦しくなり・・・
             でも頑張って 学校に行くために頑張り
   また 苦痛を与えられ
     ・・・でも 頑張って・・・

     ピーンと張りつめた細くなってしまっていた命の糸が プツンと音を立てて切れる

        それほど追い詰めた要因は何だろうか     

     学校は楽しく学べる場所でなければならない

       大人の面子のためにあるのではない
         一部の子供の満足のためにあるのではない

   学校がたとえ一人の子供でも苦痛を与える 場所であってはならない

                   
   
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悲しみと精神薬

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家族の自死後に
 精神科に行き、精神薬を飲んでいる遺族が多いと聞く
 残念です

  半年程度飲んだとしてもそれ以上は飲んでも仕方がない
  ただ
  飲んでいるだけに過ぎない

   悲しい気持ちは普通
  悲しくないのが異常
悲しみでは人は死なない
  眠れないというが 睡眠時間ゼロではない
 思うように眠れない
   満足の行く眠りができない
   という事だと思う

   睡眠薬も癖になる
  精神薬も癖になる
 なんとなく飲まないと不安

    依存である

依存からの脱却は 自分の意識・・が重要

  キツイ言い方をすれば
      精神薬でボーっとして 自分を楽させている
     岡先生のエッセイの中で遺族の事を書いたものがある

     岡先生に別な事で頼みに来たのだが
       子供を自死で亡くしている事を聞き
    少しでも楽になるのではないかと思い
       ある会を勧めた
その時その人は
  「楽になろうとは思いません・苦しくていいんです」と言ったという

     私もそう思う

   苦しくていいんです 悲しくていいんです

  息子は もっと苦しんで逝きました
  息子は悲しんでかなしんで泣いて泣いて逝きました

    もうこの世にいません
      
 私は なんだかんだ言いながら生きています
   ご飯も食べています
    満足いくように寝れないなんて 大したことではない
  寝れなくて死んだって仕方がないけど
    3日もすれば 眠くて 睡魔に襲われてしまう
   
    どれほど 自分を甘やかせたら満足するのか・・と思うほど
    人は自分に甘い
  苦しみも悲しみも 息子への愛
          
息子の死によって沸き起こる悲しみはどんなに悲しくても忘れたくない
   
  息子に ああ~~~そうなんだ
       カァチャンは 自分なんだね
         
悲しい悲しいと言っても 所詮自分なんだね・・と言われたくない

    助けられなかったという自責の念があるなんて言いながら
       親らしい言葉を言いながら
     やっぱり子供より自分の気持ちが優先

    そんな自分になりそうな時があり自己嫌悪でいっぱいになる

    それでも  美味しいものを食べたくなっている自分がいる

     笑えたりする自分もいる

      元気になっている自分がいる

お墓に毎日行かなくなった自分がいる

     なんだかんだ言っても 自分に甘い

   息子をいつも思い
     切なさで息苦しくなることもある

    力が抜けて 歩けなくなることも今でもある

     それでも 私は精神薬は飲まない 絶対に

       悲しくても いつも思い出したいから
        苦しくても彼を忘れたくないから
   涙で前が見えなくなったとしても
      息子にごめんなさいを言いたいから

      私は生きているから
         息子の苦しみの一部しかわかっていないから

     だから 真正面から悲しみと向き合いたい
        息子から逃げたくない
  私の息子は死んだのだから
     楽にはいきたくない

  生きているということは  ごまかして生きている
    それだけでも 息子に申し訳ない

 これ以上 ごまかして生きないと決めている

    苦笑いする息子の顔が浮かぶから

このいら立ちは・・・

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人はそれぞれ
    遺族も同じ

17日の出来事
  シンポジウム準備中にけたたましい音量で流れていたうた
    自死というテーマのシンポジウム
      私にとって 息子の自死とガチで向き合う時間
        
   今月は息子の誕生日
       涙ぐんで臨んではいないけど
   楽しい時間ではない

      それが ずっと歌が流れていて・・・

  宇多田ヒカルのある歌

 朝ドラのテーマソングにもなった 自死で逝った母への歌

 なみだがながれた・・という人がいた
    人はそれぞれ
   歌に感動したという人がいた
      ひとはそれぞれ
涙もそれぞれ
      私はめったに涙が出ない  でなくなったというのが正しい

   うたを聞いて涙が出るって
         ・・・・・・・
ふ~~~ん
     息子がうたっていた歌に胸が締め付けられることはある
         息子が逝ってから はじめて聞いた歌に 感動しない
    なみだなんて流れない

   息子への涙は出るが  他の涙は出ない

 亡くなった人への涙はあふれるが
      生きている人には  涙が出ない

  冷たいのだろうか
       なみだの沸点が高くなった気がする
    
   
 

   9日 長野でやまなみの代表の前島さんが泣いた姿が今も心に残る
  それは
   皆さんとの出会いに感謝します、娘が亡くなったことで出会えた皆さんに
      この素晴らしい皆さんとの出会いは娘が生きていたら出会えなかった人たちです 
          ありがとうございます
              こんな内容だった気が・・・

   やさしく思いやりのある そして信仰心の厚い彼の流したなみだ

      どんなに素晴らしい人との出会いも
           子どもが死んだことでの出会いは悲しい縁

      雲の上のような人たちとも出会って親しくさせてもらっている
         社会活動もしている

 でも  生きてさえいたら

 誰にも知られることのない
     平凡な主婦でよかった

    子どもが生きていたら 私が死んでもよかった

       生き生きとルンルンと活動をしている遺族に私はなれない

     死んだ息子に ありがとうの花束って・・・

     生まれてきてくれたことはありがとうだけど
でもでも・・・      死なせた・・・責任は重たい

       楽しかった思い出が 全て悲しみ

       うまれてきてくれてありがとうと言えるなら
          泣きながら・・・だろうと思う

      出会わないほうが幸せな出会い

        亡くなった人からのご縁

 お互いに縁がなかったら 幸せなだった・・縁

    産んだから…私の子供だったから
      あの時・・・こう育てていたら
   転校もさせてなかったら
      青森にいたら
             仕事も警察官なんて勧めなかったら
      後悔ばかり

      健一大好きだよ・・という意味でお花は供える
        好物のものも供える

     年齢の差だろうか
  それとも 亡くした人の違いだろうか

     なみだ色の花束というが
         花束って ・・・ 私は息子に供えられない

      花は12年間 仏壇が見えなくなるほど飾っている
   花瓶が8個 小さな仏壇は隠れてしまう

 でも ありがとう は いえない 悲しすぎて

     いつも ごめんなさい と 思う
         ごめんなさいの活動をしている

    17日のシンポジウムで遺族が映像と共に流したうた

うたを流してプレゼンの準備中 彼女は腰を振りのりのりだった
           この人との出会いは6年くらいだろうか
       でもこの温度差はなんだろうか

    

     私は酒でも飲まないと   のりのりで歌は聴けない
  歌は聴いても歌っても
       自己嫌悪に陥る
  
 講演も同じ  いつも自己嫌悪感でいっぱいになる

 何を偉そうに語っているのだろう・・・と自分を責める

     このプレゼンは  遺族以外の人たちには受けがいいようだ
        きれいで感動的 いい人・・・愛溢れる人・・・
                    
  私は 寒々しく感じる
    根性が曲がっているのかもしれない

  自死は   きれいごとで済まされることではない

      藤圭子も精神薬の犠牲者だ
          この彼女の夫も震災と理不尽な上司の犠牲者だ
  
     そして 私もだが
         助けられなかった 家族として生きている

      私の心には前島さんの涙を流しての言葉がストンと落ちる
いら立ちを覚えない
    ものすごく深い 感謝と懺悔がそこに感じる

         いろんな人たちと出会い いろんな酷い目にも合ってきた

    でも イラっとすることは少ない

       なんだろう
   わたしが精神的にダメージを受ける人の一人・・・?

     何がだめなのかなぁ

      多分相手もそう思っているだろう

         誰でも 大丈夫な性格だけど

                                
      健一 カァチャン 引きずられているね


  さて今日は東京
   心の通じる弁護士や司法書士の皆さんと(遺族も)
       いらだたない議論をして
    また 心を原点に戻して 頑張ります

悲しみを抱えるという事

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 愛する人を亡くし 人生が悲しみ色に変わったとき
    どうやったら この悲しみを抱えて生きていけるのだろう
      と
     遺族は思い悩む

   でも よく考えてみてください

    思い悩む力があなたにはあるのです

     生きて行けるだろうか・・と思う気持ちがあるのです

   24時間 一瞬も亡き人を忘れることができない
    悲しみで息苦しい

 でも 食べて・・寝て・・・お風呂に入って
    できなくなったこともたくさんあるけど
       やれていることも たくさん

   できなくなったことを数えるのではなく
  悲しくても
  苦しくても  つらくても  切なくても
    気力がなくても
  やれていることがあるのです

   仕方がなく・・といっても

    食べて  トイレに行って お風呂に入って
 洗濯して
 泣きながらでも
     やれているのです

   それが 生きるという事
   その一つずつの積み重ねが  悲しみを抱えて生きるということ

  特別な生き方ではなく
   普通に 生活をしていることが 
   遺族には
悲しみを抱えて生きていること


   抱えて生きていないと思っているのかもしれませんが
      日々 生きている事は事実

   捨てられない 悲しみを
      知らず知らずに 抱えて生きています
     
     身体の一部となってしまった悲しみ
       悲しみがあることが あなたであり 私・・遺族

    精神薬に逃げ道を探さないこと
    精神薬をトラックいっぱい飲んでも
     悲しみから逃げられないのです

    だって 身体の一部なのですから

 どこにいこうが たとえ記憶がなくなろうが
     愛する人を亡くした悲しみは消えていないのです

    それなら  しっかりと身体に刻み
   悲しみを自分の一部として認めることです

 ジタバタもがいても  悲しみは一緒

 覚悟を決めること

    亡くなった愛する家族を思うなら

     覚悟はできる

    生きている私の悲しみなんて 

 亡くなった人に比べたら大したことではない

本日は福祉プラザでシンポジウム

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今日は「宮城県自死遺族連絡会」
(県精神保健福祉センター・いのちの電話すみれの会・グリーフケア研究会・東北希望の会・藍の会)
   主催のシンポジウム

基調講演は杉山春さんテーマは「自死は向き合える」

    昨夜 私の配布資料を印刷し 準備
       「藍の会」の活動も含めて 全国自死遺族連絡会のlことも少しだけ・・と思っている

   また仙台での開催なので「いじめ自死」についても・・と資料を作った

    震災後 宮城県のマスコミは 自死については関心がなかった
   どんなにお願いをしても 取り上げられることはなかった

      被災者支援や 被災者の心のケア
          遺児の心のケア
   震災一色・・・
       被災地で自死がおきても 知らんふり
      以前よりも被災地では語れない死となってしまった

      自死は日々おきている
        
          しかし  自死の事には 被災地ではなかったことになっている

     同じ死なのに  なぜ・・・

     阪神淡路・・・日航機事故・・
        もうずいぶん前の事だけど 被災地の遺族は関心を寄せる
  しかし身近な地域で 自死が起きても無関心

    自死は自分で死んだ人
     被災や事故は 死にたくなくて死んだ人
   自死は好きで死んだと思うのだろうか
  ・・・
  多少なりとも 心のどこかでそう思っている
           と私は  感じている

   自死も好きで死んだのではない
  死にたくて死んだのではない

  東京で厚労省のシンポジウムがあった時
    貧困の活動をしているNPOの代表が
  「彼らはヘラヘラ笑いながら死ぬんですよ」と発言

   名古屋から来ていた遺族は震えながら反論
     
     そのうえ その人は 支援者はとても疲れると発言
  それに拍手をして賛同した教授がいた
      
  NPOとしての 支援は強要されたものではない
    疲れるなら疲れないNPOの活動をしたらいい

      遺族がいることを承知で発言したその人や拍手した教授の無神経さに腹が立った
(私も講演したので、遺族がその場所にいることはわかっていた)

     支援者の心得の一つとして
  当事者を前にして「あなたの支援をするのは疲れる」と言ってはいけない
    と私は思う

   しかし支援者支援という意味不明な事を重要な事だと話す支援者が多い
   グリーフケアの研修にも組み込まれている

  それを聞いて 支援者たちは「そうそう大事」とか話している

      そんなことはマル秘事項とするべき
   自死を
     身勝手な死・・・特殊な死ととらえているような人たちに
         本当の意味での支援などできるわけがない

   仙台で3人の中学生が自死という異常事態がおき
   ようやく マスコミが自死に関心を寄せてくれた

    ようやく・・・
             
    しかし  まだまだ 日々起きている自死という問題よりは

       ・・・・
    なんだか
  余計な事を 話してしまいそうな気が・・
(10分ほど 話すのですが)

     他人事だと思っていた私の息子が自死し
        ボランティアが嫌いな私が  無報酬で活動をしている
           
   幸せな不平不満をいい
     好きなように生きてきた私が
   自死の問題だけを考え生きている

      誰もがある日突然 自死遺族になるかもしれない・・それが今の日本

   さて・・今から 福祉プラザに・・準備にいきます